『 特急アジア号 』

               『 特急アジア号 』
                                 2017/02/20

Asia7_convert_20170220120530.jpg
 満鉄(南満洲鉄道㈱)が誇る流線型のブルーの特急列車に再会する機会は、
1986年7月に訪れたのです。私は満洲で生まれ1945年終戦により始めて祖国
日本に引揚げてきました。
 生きる為に働き定年を迎える頃、漸く故郷満洲を訪れる事が出来たのでした。
生れ故郷撫順市、女学校生活を送った奉天市(瀋陽)を40年以上前の記憶を辿
りながら妹と歩きました。建物は昔の儘の古びた佇まいでした。

Asia4_convert_20170220120434.jpg
「瀋陽鉄路蒸気機関車陳列館」があると言うので、満鉄が誇った在りし日の列車
に会いに行きました。「春は南から杏の花で、冬は北から氷柱で知らす」と歌われ
た南満本線は、満洲を南北に貫く広軌鉄道でした。流線型のアジア号が満洲の
広野を走っていた姿を彷彿させながら観に行きました。

Asia1_convert_20170220120318.jpg
 陳列館と言うので大きな建物の中にあると思ったのに、露天のレールの上に雨
ざらしなので驚きました。参観料金を徴収していました。アジア号以外の蒸気機関
車も展示されていましたが、長い年月此の儘露天で展示するのでしょうか。
70年以上経過しているのですから現在はどのような姿になっているのかと想像する
ばかりです。幻のように消えた満洲国は私にとって故郷なのです。老いてもレールの
上で、かつての美しいブルーの流線型を保っている「特急アジア号」でありますように
と願ってやみません。現在の新幹線のモデルなのですから。


『 確定申告書 』

                 『 確 定 申 告 書 』
                                     2017/02/10
 今年も所得税確定申告書を提出する時期となった。「源泉徴収票」「税額控除関係の領収書」
が郵送されてきたので確定申告を行うことにした。
 国税庁のホームページからパソコンで作成するのは4年目なので、資料を揃えて入力に取り掛
かった。今年は歯科治療もあり、1年分の医療費の領収書は64枚あった。年ごとに医療費が増
えて行くのだろう。年金生活も次第に苦しくなってきた。医療費控除と寄付金控除の申告など大
した影響もないとは思うのだが、僅かながら所得税の還付があるので確定申告を続けている。
 必要事項を画面の指示に従って入力すると、控除額の計算も自動的に行われ、税務署に提出
する申告書と添付書類がすべて作成されて出来上がっていた。
 今年は本人確認書類として、マイナンバーカードの表裏写しを添付するようになっていたのが従
来と異なっていた。
 申告書を印刷して捺印、添付書類を同封して税務署に郵送すれば完了となる。
 1年間の決算を確定申告で調整する仕事が、今年も出来たことは何よりも嬉しかった。


『 鍼灸治療 』

               『 鍼灸治療 』
                              2017/02/08

IMG_3270_convert_20170208181558.jpg
2013年11月松下記念病院・整形外科で関節リウマチと診断され、抗リウマチ薬
の服用治療を続けていた処、手、指の痺れが次第に強くなってきて、2016年5月
に神経伝導速度検査を受けた結果、手根幹症候群と診断されました。手術を勧
められましたが何か良くなる方法は無いかとマッサージ等を続けていた折、インタ
ーネット検索で「大阪唯一のリウマチ専門治療院・気よし鍼灸院」を知り、連絡をし
て2016年7月28日に江坂にある治療院を訪れたのでした。
気さくな人がらの中島基嘉師は、患者との対話で病状のみならず、経歴まで聴き
出し話題を広げて、カルテを作成して居るのでした。

IMG_3269_convert_20170208181511.jpg
病院では定期的に血液・尿検査の結果でリウマチの病状を診断して、抗リウマチ
薬を処方されるばかりなので不安がありました。鍼治療という方法で痺れや痛み
を解消出来ないだろうかと考えたのです。血液検査のデータを見て頂き、病状の
説明をして身体の痛みや痺れの状態を話し鍼治療をお願いしました。
私のリウマチは軽い症状のようでしたが、加齢による痛みもあるのでしょう。2週間
に1回の治療をすることになりました。12月にレーザー治療器を導入され、鍼治療と
併用して効果をあげているのです。
対話をしながら病状に適した鍼治療を続けて6ヶ月になります。膝関節の痛みが堪
え難く、階段の上り降りが困難でしたが、電車の乗換も可能で、京阪電車から地下
鉄に乗り換えて江坂に通っています。腰の痛みも続いていますが、杖を使ったことは
ありません。予約制で次回の治療日を予約します。免疫系、慢性の病は定期的な
治療が必要なのだと理解するべきでしょう。
かくして私の鍼灸治療が始まりました。そしてこれからも続くことでしょう。
介護を必要とせず、自力で生きて行きたいと願うばかりです。


『 本籍地と年譜 』

              『 本籍地と年譜 』
                                 2017/01/19

 私の本籍地が「高峰公園」となって1955年7月に湯川秀樹の銘のある高峰譲吉の
銅像が建てられているとブログに書いた処、高峰譲吉との関係について問い合わせ
のコメントがありましたので、資料を探して調べてみました。

             「高峰譲吉博士略年譜」 
文化10年 ・1813年  高峰家の祖は遠く足利時代より、子孫代々医をもって松平家に
              仕え、元和9年封を越後高田26万石に移された時、国主光長に
              随伴した。これが越後高田・高峰家の祖である
              8代高峰幸庵2月越後高田より越中高岡に移住、御馬出町で医を
              業とし、医名頗る高かったと言う。
文政8年  ・1825年  幸庵養女トキ子に藤馬を婿とし、藤馬玄台と改名する。
文政10年  ・1827年  高峰玄台の長子・精一生れる。精一は蘭医学を学ぶ。
嘉永5年  ・1852年  津田幸子を妻とする。
安政元年  ・1854年  高岡にて  父・高峰精一母・幸子の長男として譲吉生れる。
安政2年  ・1855年  精一、加賀藩の御典医となり金沢に移る。
明治41年  ・1908年  高峰譲吉10月18日高岡市御馬出町51番地及び父祖の邸宅
               を視察され、坂下町の高等小学校で講演。 
           
             「高峰家・略年譜」
嘉永3年  ・1850年 8代高峰幸庵の後継者・玄基は、弟子・幸庵を4月10日養子とし
              て高岡市御馬出町51番地にて医家を相続。
嘉永4年  ・1851年 高田とみを妻として入籍。
明治8年  ・1875年 長男 旬造10月21日生・明治27年(1894年)4月7日死亡。
明治2年  ・1869年 長女 むつ2月6日生・大菅要之助と結婚。
明治30年  ・1897年 12月4日生 大菅要之助とむつの二男恂三を養子縁組。
明治38年  ・1905年 1月18日 高峰幸庵死去。
大正8年  ・1919年 1月11日 高峰恂三・相続。(高峰恂三が私の父です)
大正12年  ・1923年 10月 旧邸跡を高岡市に寄付。
昭和10年  ・1935年 6月21日 高峰とみ・満洲国撫順市にて84歳で死去。

 8代高峰幸庵の後継者が玄基と玄台に分れ、別々の道を進んで、子孫が夫々
の形で遺されたというのが結論でしょう。
200年以上前に端を発した出来事を調べるのは大変です。


『 思い出 』

                  『 思い出 』
                               2017/01/08

IMG_3264_convert_20170108122637.jpg
 卒寿の祝として下関の親友から、ご子息連名で立派なバラの花束が届きました。
長年勤めた職場での同僚・親友の田村春代さんからでした。
 1990年5月に40年間住んでいた下関市を去り、大阪ゆうゆうの里に終の住処を定
める事に決心した時。下関の思い出に、山口県を案内すると誘ってくれて、田村さん
の兄上の運転する車で山陰へ向いました。

Yamaguchi_1_convert_20170108122830.jpg
山口市の臨済宗・常栄寺にある名勝「雪舟の庭」を鑑賞し、お抹茶を服用して、

Yamaguchi_2_convert_20170108123007.jpg
湯谷へ向う途中、折しも満開の豊田の藤を眺めることが出来ました。
湯谷町に住む上中さん宅を訪れ、山陰の海岸の景色を心行くまで眺めました。

Yamaguchi_3_convert_20170108123117.jpg
獲れたての魚や蒲鉾の御土産を頂き、海岸沿いの「荒磯」と言う店で夕食を
ご馳走になり、自宅まで送って頂いたことは、下関最後の思い出として消える
事はありません。
下関発夜行列車「すい星」で大阪に到着し、慣れぬ住処で寂しさに眠れぬ日々
が続きましたが、26年間四季折々自家栽培の果物、思い出深い山口県産の果
物、年末には自家製の餅で鏡餅、雑煮用の餅、新年用蒲鉾まで取りそろえ、
送って頂いて参りました。
 若くしてご主人を思いがけぬ病で亡くされ、女手一つで遺された二人のご子息
を立派に育ててこられて、並々ならぬご苦労だったと拝察するのですが、私まで
長い年月支えて下さった事を思うと感謝の言葉もありません。
下関は故郷満洲に帰れない私にとっての心の故郷でした。優しさと思いやりを
一身に受け止めて、幸福な人生を送ることが出来ました。
 卒寿を迎え、馥郁と香る薔薇に込められた思いに感謝しきりでした。


プロフィール

靖子ママ

Author:靖子ママ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

東光寺の日々

LEVEL1 FX-BLOG
ブロとも一覧

東光寺の日々

LEVEL1 FX-BLOG
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

プラグインアルバムー1
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR