『 本籍地と年譜 』

              『 本籍地と年譜 』
                                 2017/01/19

 私の本籍地が「高峰公園」となって1955年7月に湯川秀樹の銘のある高峰譲吉の
銅像が建てられているとブログに書いた処、高峰譲吉との関係について問い合わせ
のコメントがありましたので、資料を探して調べてみました。

             「高峰譲吉博士略年譜」 
文化10年 ・1813年  高峰家の祖は遠く足利時代より、子孫代々医をもって松平家に
              仕え、元和9年封を越後高田26万石に移された時、国主光長に
              随伴した。これが越後高田・高峰家の祖である
              8代高峰幸庵2月越後高田より越中高岡に移住、御馬出町で医を
              業とし、医名頗る高かったと言う。
文政8年  ・1825年  幸庵養女トキ子に藤馬を婿とし、藤馬玄台と改名する。
文政10年  ・1827年  高峰玄台の長子・精一生れる。精一は蘭医学を学ぶ。
嘉永5年  ・1852年  津田幸子を妻とする。
安政元年  ・1854年  高岡にて  父・高峰精一母・幸子の長男として譲吉生れる。
安政2年  ・1855年  精一、加賀藩の御典医となり金沢に移る。
明治41年  ・1908年  高峰譲吉10月18日高岡市御馬出町51番地及び父祖の邸宅
               を視察され、坂下町の高等小学校で講演。 
           
             「高峰家・略年譜」
嘉永3年  ・1850年 8代高峰幸庵の後継者・玄基は、弟子・幸庵を4月10日養子とし
              て高岡市御馬出町51番地にて医家を相続。
嘉永4年  ・1851年 高田とみを妻として入籍。
明治8年  ・1875年 長男 旬造10月21日生・明治27年(1894年)4月7日死亡。
明治2年  ・1869年 長女 むつ2月6日生・大菅要之助と結婚。
明治30年  ・1897年 12月4日生 大菅要之助とむつの二男恂三を養子縁組。
明治38年  ・1905年 1月18日 高峰幸庵死去。
大正8年  ・1919年 1月11日 高峰恂三・相続。(高峰恂三が私の父です)
大正12年  ・1923年 10月 旧邸跡を高岡市に寄付。
昭和10年  ・1935年 6月21日 高峰とみ・満洲国撫順市にて84歳で死去。

 8代高峰幸庵の後継者が玄基と玄台に分れ、別々の道を進んで、子孫が夫々
の形で遺されたというのが結論でしょう。
200年以上前に端を発した出来事を調べるのは大変です。


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