『 ペ ル シ ア 歴 史 紀 行 』

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             『 ぺ ル シ ア 歴 史 紀 行 』
                                    2014/08/26

1994年8月8日出発15日間の旅への誘いがあり、旅仲間5人がツアーに参加した。
成田より北京経由イラン・イスラム共和国の首都テヘランに行き、イラン国内をめぐるツアーです。

8/08(月)成田空港発 17:38 IR-801(イラン航空) 北京着21:35 (約4時間トランジット1.5時間)
北京発23:15 テヘラン着 8/09 07:25 北京より8時間10分 (現地時間・時差4時間30分遅れ)
02:55 (以後現地時間) ラレ・ホテル ”LALEH HOTEL ” 着04:45 休憩

8/09(火) 11:00 出発、ハマダンへ210~230km バスの旅は始まる。

イラン。人口約6,500万人・ テヘラン人口約1,200万人・ イラン面積、1,648,195㎢
(日本の約4.4倍)・ 民族イラン人、トルコ人、トルクマン人、アラブ人他・ 公用語ペルシア語。
通用する外国語(トルコ、アラブ、イギリス、フランス)・ 宗教イスラム教(大部分シーア派、
イマーム派、)キリスト教(アルメニア教会他)ユダヤ教、ゾロアスター教。

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8/09 14:50 カズビン ”QAZVIN ”ここは17世紀にイランの都だったことあり。
テヘラン門、サファヴァー朝のタフマースプ一世時代(16世紀中頃)には首都の東の守りとして
重要性を増し、1,553年頃に城砦やバザール、城壁が作られ都市の様相が整えられた。
この頃はテヘランには四つの門とコーランの章の数に等しい114の塔があり、各々の塔には
コーランが刻まれていたと伝えられる。

17:00 休憩、フルーツを沢山売っている。葡萄、巴旦杏、洋梨等。バスは冷房が効かず暑い。
女性は頭髪を隠し首や胸元も覆うスカーフ・ストール等を被る事を要求され、暑さにバス走行中
はスカーフを外す。警察の検問等が度々あり、その都度合図がありスカーフをかぶる。

19:25 地下のモハマンド・アリの墓、墓標が多数あり。 エクバタの丘はハマダンの一番
古い紀元前5世紀の遺跡発掘中、南北約1km 東西約500m

20:13 ハマダン ”HAMADAN ” (エンゲラブホテル着)イラン西部ザグロス山脈中の都市。
(古代ペルシア語名・ハグマターナ Hagmatana )テヘランから西に343km、海抜約 1,775m
の高原都市、メディア王国の都、アケメネス朝の夏の都であった。

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8/10 (水) 08:00 出発、ハマダン市の南西約5km にあるアルヴァンド山の麓、ギャンジ・ナ―メ
(Ganj Nameh )「宝の文」に08:50 到着、花崗岩の壁面に彫り込まれたアケメネス朝の碑文である。
向って左側がダリウス一世、右側がクセルクセス一世のものである。ダリウス一世の碑文は、後に
なってクセルクス一世の時代に、同時に作られたものと考えられている。両方の碑文共に2 × 3m
の長方形で、左の欄から古代ペルシア語、エラム語、アッカド語の三言語で書かれている。
1,835年ローリンソンがこの碑文の写を作ったのが、古代ペルシア語の解読の端褚となった。
「ギャンジ・ナ―メの磨崖碑」ギャンジ・ナ―メを出て遊牧民の天幕が山の中腹にあった。
峠の茶屋でチャイを飲み休憩する。アッサダ・バードの町は人口6万人位の地方都市。
11:10 バスにガソリンを給油時、羊の群が通り過ぎる。

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12:20 ビストウーン”Bistun”(古代ペルシア語名バガスターナ Bagastana )イラン西部の
ケルマンシャーの東方約40km 小さな町アカイメネス朝時代の磨崖碑がある。
ダーレイオス一世(前522-486年)による帝国の統一が、古代ペルシア語、エラム語、
アッカド語によって記述され、大王を中心として反逆者、従者の人物像が浮彫されている。
1,839年ローリンソンによって碑文が採取され、楔形文字研究、メソポタミア文化研究に
大きな貢献を果した。また磨崖下方にはミトラダーテース二世謁見図、ゴータルゼース
二世騎馬戦闘図磨崖浮彫もある。さらにパルティア人マギ僧浅浮彫、ヘラクレス横臥像
が発見されている。なおベヒストゥーン Behistun の呼称は中世アラブ人地理学者による。

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13:50 昼食場所に棉の木のピンクの花が美しく咲いていて、瓜を沢山並べてあった。

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14:50 タ―ク・イ・ブスターン Taq-i Bustan  ケルマンシャーの北東約13km
ササン朝時代の洞窟遺跡と磨崖浮彫遺跡、庭園の池に面してアルダシール
二世(379~383年)の帝王叙任式図浮彫、

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イワーン型洞内にはパフラヴィー銘文を刻したシャプール三世(383~388年)の記念碑浮彫

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入口正面の左右に飛天を配したイワーン型大洞内にはホスロー二世に比定される
騎馬像・帝王叙任式図、さらに絵画的に処理された帝王狩猟図の浅浮彫が残る。
大洞左壁上部には19世紀のカジャール朝時代の浮彫、銘文が刻出されている。

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17:25 ケルマンシャー Kermanshah イラン西部ザグロス山中のクルディスター地方
にある都市、ササン朝のバフラ―ム四世(388~399年)の創建と言われる。
ハマダンの西方160km 古代にはハマダンとティグリス河畔を結ぶシルクロードに沿っ
た隊商都市であった。近郊にササン朝の遺跡タ―ク・イ・ブスターンのあることで有名。

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紀元前2,000年アナヒタ女神を祭った神殿跡ペルセポリスの様なギリシア風
とのミックスされた様式の柱が残る遺跡。

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8/11(木) 7:30 ハマダン・エンゲラブホテル出発

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7:45 ライオン像・シ―レ・サング(Sire Sang 石のライオン)顔の部分が10世
紀の戦により破壊され、風雨にさらされて石の塊状 になった。紀元前2世紀
に出来たものと言われるが年代は判然しない。

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13:00 「コム」 テヘランの南約130km に位置する人口約25万人の宗教都市。
イスラム革命にあってはその名を世界にとどろかせた。

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古代にはゾロアスター教の聖地であったが、シーア派第8代目のイマーム、
イマーム・レザーの妹ファーテマの廟が建立された後、シーア派の教学の
研究・教授の中心地として発達し、現在ではイランにおけるシーア派の総
本山となっている。 

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宗教都市コム・市内にはブルージェルディーをはじめ300以上のモスクと
マドラッセがある。聖地として、墓所、人口は増加している。

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17:30  カシャーン” Kashan” イラン中部、テヘラン南方175km に位置する。
人口約15万人、海抜950m、避寒地、夏は41℃~43℃11世紀のカシャーン
城壁遺跡がある。

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18:05 カジュアル王朝(190年前)に作られたモスクと、周囲に併設の神学校がある。

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18:15フィン庭園、17世紀に作られたものが18~19世紀にかけて広がっていった。
泉の水は山から引いてきている。付属博物館があり、絵葉書と小冊子を購入。

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19:25シアルクの丘BC.3,000年 住居跡、穴が山の向うに突き抜けとなって
いる。シルク絨毯、ローズウォーターは古くから特産品として作られていた。
セルジューク朝時代の12~13世紀に、イスラーム陶器の製陶地として、繁栄し、
14世紀以降は彩釉タイルをしきりに焼き、名工とされる陶工の名が伝わっている。

20:10 “カシャーン” アミルカビル・ホテルに到着。ホテルの設備は悪い。
20:30 ホテル・レストランで夕食。

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8/12 (金) 08:00 ホテル出発、南へ向けてイスファハンへと進む。
11世紀のカシャーン城壁の見える風景、

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円錐形の氷室等があり散策する。09:10ミラーハマット・モスク他見学し撮影。

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09:45人口400~500人の村には古い崩れかけた家が丘の上にある。 
10:37 NATANZ オアシスのある町で休憩、紅茶を飲む。

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11:40 “タルク” ササン朝時代の住居跡がある村の跡、雪解の水が流れ、
魚が多いと言う。

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13:15 イスファハン“ISFAHAN” イランの首都テヘランの南方約400km イラン高原の
中部に位置する人口約150万人のオアシス都市。現在でもイランの第二の都市で商
工業の中地の一つである。日本の京都のように落着いた古都である。イスラーム時
代のサファヴィ朝時代に最も繁栄し1,598年新都に定められ大規模な都市計画に基づ
き新市街が建設された。市の中央に(王の広場)と呼ばれる長方形の広場を設け、南
に大寺院(王のモスク)東に小寺院(1,602~1,616年)、北にバザール(市場)の門、
西に王宮の門と四辺にそれぞれモニュメンタルな建築を配置した。その他市内には同
時代の(40本の柱)と呼ばれる柱廊形式の宮殿迎賓用ホール、王母の学院(1,706~
1,714年)および金曜日のモスクが遺され、付近にはアーチの数から33連橋等これらの
建築の多くは伝統的なイワーン形式を有し、彩釉タイルや予め絵付けした方形タイルを
貼り合わせる美麗な建築に囲まれた都の有様と栄華は「イスファハンは世界の半分」と
謳われた。17世紀の絵画では典雅な人物画の画風が流行した。織物は金銀糸を混えた
花鳥の文様や人物の図柄が織られ、宮廷工房では絹製を含む華麗な絨毯が作られた。
またサファヴィー朝時代には中国の染付風陶器の製陶地の一つであった。

13:15 アバッスィー・ホテルに到着後ホテル・レストランで昼食、休憩後 16:00 観光に出発。

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16:15 “金曜モスク” 10世紀頃より時代を経て増築が加えられ大きなモスクとなった。

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旧拝火教(ゾロアスター教)寺院をモスクに造り替えた。
17:43山上にあるアルメニア教会が見える。下から写真を撮る。
18:00 「揺れるミナレット」建物13世紀、塔は17世紀に建設、終り頃一つの塔の
振動で、もう一つの塔が揺れることが判明、奇跡として伝えられる。18:50 ザー
ヤンデ川にかかる、大理石で出来たシオセ・ボル(33連橋)二層のアーケードの
ハージュ橋(1,600年頃)がある。
19:00 チャハ―ル・バーグ通りの東側にイスファハンの中心とも言えるイマーム
広場がありこの広場を囲むように東にシェイフ・ロトフォッラー・モスク、南にイマ
ーム・モスク、西にアリー・カプ宮殿、北にバザールの入口がある。
20:45 “アバッスィー・ホテル” はキャラバンサライを改装したホテル。12~13日の2泊。

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08/13 (土)09:10 ホテル出発。40柱宮殿 “カーヘ・チェヘル・ソトウゥーン”
アッバース二世の建てたこの宮殿はイマーム広場の西にある。

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八角柱の木柱20本と前の池に映る影とで40本になるところからこの名がある。

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タラール(柱廊)形式の宮殿。迎賓用ホール、王母の学院および金曜日の
モスクが遺されている。

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天井はタイル、柱は木製20本、前庭の池に写った時40本に
見える。 全面柱のある場所は謁見の場、その奥は客を招待
する場、フラスコ画が壁面(17世紀の後100年後)に描かれた。

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天井は高くドームの中高さ22m上の椀型の部分10m、音は7度こだまする。
塔の高さは差があり30m~50mと言う。 13:20 レストランで昼食。
14:50 午後の観光に出発。

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16:30 アルメニア教会の見学。アルメニア人は建築や工芸、美術にその
才能を発揮し、数多くの優れた建築物や絵画、工芸品を残した。印刷術
をペルシアに持込んだのもアルメニア人で1,641年にはアルメニア語の聖
書をこのジョルファーで出版した。

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18世紀末には30の教会があったと言われるが現在は13の教会を残すのみ
である。教会はアルメニアとペルシアの折衷様式で建てられ、アルメニア様
式の建築プランをもち、建築技法はペルシア的なレンガ造りである。

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特に尖塔アーチが特徴で美しいハフト・ランギー(七彩)と呼ばれるタイルで
飾られている。絵画はヨーロッパの影響を強く受けて居るのが特徴である。
博物館と同じ敷地内にある。

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救世主教会(1,658/9~1,662/3年建築)には旧約聖書と新約聖書の物語
を綴った見事な壁画が遺されている。この壁画はヨーロッパで出版された
聖書の挿絵をもとに描かれたものと言われている。683点に及ぶアルメニア
語の写本や17~18世紀にアルメニア人がもたらしたヨーロッパの工芸品や
このジョルファー地区の工芸品が多数収められている。中でも興味深いのは
墓石に彫られたレリーフの写しで、本人の像と墓碑銘そして生前の職業を示
す道具類が描かれている。

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17:50 「イマーム・モスク」サファビー朝の最高傑作と言われ彩色タイルの
モザイクが美しいドーム(円屋根)の高さ54m、モスクの正面をメッカに向け
てあるため広場の中心軸とずれて建てられている。外側からは正面入口と
ドームとミナレット(尖塔)しか見えない。しかし空高く聳える姿は紺碧の空
と灼熱の真っ赤な太陽に映えて幻想的でさえある。広場に面した正門の天
井を見上げて人々は驚きの声をあげる。「スタラクタイト」と呼ばれる蜂の巣
状の装飾モザイク技法は、神秘的な陰影と色彩をつくりだす。多彩で精緻な
文様に職人たちの計り知れないエネルギーと苦労を感じ取るだろう。

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入口を入ると急に明るくなる。そこは中庭で祈りの前の清めをする泉が中央
にある。周囲の回廊の壁は多種多彩なアラビスク(アラビア風文様)で埋め
尽くされている。中庭から前室を通ってドームの被さった主礼拝の広間に入る。

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ドームの音響効果は良く、その下で手を叩くと7回こだますると言う。ドームの
巨大さやその内壁を埋め尽くす彩色タイルのアラベスクに又眼を瞠らされる。

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モスクには神像も祭壇も無い。モスクは祈りの場所に過ぎない。モスクは礼拝の時の方向
(メッカの方向)を向いていることが重要で、巨大なドームも素晴しい装飾も祈りの雰囲気を
高めるためのものなのだ。イスラム教は偶像崇拝も生物の描写も禁じた。イスラムの画家
たちは植物を抽象化して曲線文様をうみだした。植物文様と幾何学文様を組み合わされた
ものを「アラベスク」と呼ばれた。網の目のように空間を埋め尽くすアラベスクが、隙間なく
装飾された幻想的な空間は無限の世界を象徴しているならば、アラベスクはモスクを飾る
最も相応しいデザインと言える。 ドームの中、高さ22m、上の枕型の部分10m。

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19:17 「ハージュ橋」市内を流れるザーヤンデ“Zayandeh”川にかかる
二層のアーケードの橋を渡り写真を撮る。
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大勢の人々が水を眺めて涼んでいる。
20:30 ホテルに帰り、ガーデンで夕食(羊、チキン、肉のチェロキャバブ等)

08/14 (日)07:00イスファハン出発。08:40 ドライブ・インで朝食。
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09:55 ヤズド・カースト“Zad Khast”サザン朝住居跡とキャラバンサライ跡あり。
見学と撮影。
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アッバース大帝は24km毎に999のキャラバンサライを造った。駱駝と驢馬を
つれて隊商が泊った。
12:50 “Deh Bie” 昼食。 アーシュ、ヨーグルト、チェロ(ライス)

14:45 「パサルガダエ」キュロス大王(BC559~530)によって建設された。
キュロス大王はペルシア帝国を創建し、BC550年にメディア、BC547年にリディア、
BC539年にバビロンと、当時の近東の大勢力を次々と征服し、その版図を拡大
した。パサルガダエの宮殿都市はリディア征服の直後に建設されている。この
建設の為に働いた石工はおそらくリディアから連れてこられたものであろう。 建
築のスタイルは様々な伝統的様式が入り交っている。ペルシア人はそれ以前
にはこの様な記念碑的大建築物を造った経験を持たなかったので、よその国々
から多様なスタイルを借用して来なければならなかった。列柱広間はメディアか
ら、石造建築の技術はリディアから、彫刻はおそらくメソポタミアから採り入れた
ものであろう。然しこうした事情にも拘らずパサルガダエの建築物はペルシア独
自のものと言える特徴を示している。建築物は2km程の広さに亘って散在してい
るように見えるが、全体を貫く統一された計画の存在が窺える。

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★ パサルガダエ “PASARGADAE”イラン南部ファールス地方、シラーズの北東
約100kmにある古代都市遺跡キュロス2世(在位BC559~530)により建設された。

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アカイメネス朝の最古の首都。 南北約2kmにわたって拝火壇、拝火神殿、饗宴
(迎賓)の宮殿、玄関、アバダーナ、迎賓用宮殿を備え、ペルセポリスの先駆をなす。

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キュロス二世の墓は切妻式住居形の石室が6段の基壇上にあるが、それは
北西イランの木造家屋の形式を模し、基壇はバビロニア建築の伝統によるも
のと思われる。

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また、アッシリア、ヒッタイト、エジプトおよびギリシアの美術的要素を吸収
して「ペルシア帝国式」建築を完成している。遷都後も宗教的中心地として
の位置をアカイメネス朝滅亡時まで保った。

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17:45ナクシュ・イ・ルスタム“NAQSH・E・ROSTAM”ペルセポリスの北6km
にある。高さ約150mの切り立った岩壁、アクメネス朝4代の王様の墓。
ダリウス1世は埋葬された。

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ここでは高い断崖の中腹に4基の墓が彫り込まれているが、これらはダリウ
スと彼の後継者うちの3人の王の墳墓である。墓の正面部はギリシア十字
のような形で、下段には何もなく、中段には列柱をもつ宮殿の正面部が彫り
だされていて、中央に玄室に続く入口がある。

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上段には帝国の各地域の臣民の像に支えられた台座の上に王が立ち
アフラマズダ神の有翼のシンボルの下で聖なる火を崇拝している図柄が
彫られている。墓の前部には石塔が建てられている。

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4m巾、奥行3m位、下部は3~4世紀ササン朝に彫刻された(1,500年位前)
上部は2,500年位前のものと言われる。

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ルスタムの像のある丘(伝説上イランのヘラクレスと称えられている人)騎馬
のルスタム(シャプール1世)ローマ皇帝が許しを乞う(左)

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★ 18:50 ペルセポリス “PERSEPOLIS” (現地名タフト・イ・ジャムシード
“Takht・i・jamshid”)イラン南部ファールス地方シーラーズの北東約110km
にあるク―へ・ラハマト(慈悲の山)と呼ばれる岩山の麓に広がるアケメネス
朝の遺跡(時代の首都)「ペルシア人の都市」の意。

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マルヴ・ダシュト平原の一角に聳える。古代ペルシア語(アケメネス朝
ペルシアの碑文に用いられている古代イラン語)では「パールサ“Parsa”」
と呼ばれ、この地方一帯の名称でもあった。

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ギリシア人の間ではペルセポリスは「ぺルサイ“Persai”(ペルシア人の町)」
として知られていたようである。

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実際にペルセポリスの語源となったのはギリシア語の“Perseptolis”
(都市の破壊者)である。

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アエスキュロスが劇「ペルシア人」の中で用いたもので、ギリシアの諸都市
を破壊したペルシア人に因んで付けたものである。それが後代に誤って伝わ
りペルセポリスと呼ばれるようになったと考えられている。

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ペルシア語で「タフテ・ジャムシード王の玉座」と呼ばれている。

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★アケメネス朝を建国したキュロス二世の後継者ダリウス一世が建設を
始めた宮殿である。

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アケメネス朝の首都はペルシア湾に近いスーサであるが、避暑用に気候
の良いこの地に宮殿を造営したものである。宮殿の梁と屋根は木造、壁は
日干煉瓦で出来た壮麗な建物であった。

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紀元前300年頃ギリシアから攻め入ったアレキサンダー大王によって焼かれ、
現在は石造りの基壇や門柱を残すだけとなっている。

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これらの基壇は岩山の一部を削り、あるいは巨大な切石を積み上げたもので、
平野を見下す高台へ続く階段を登ると幅7m高さ10m余の巨大なクセルクセス
門があり、その両側に高さ6mの人面牛身の彫像が建っている。門を入ると幾
つもの広間、回廊、謁見の間などの跡がある。

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その中で最も重要な部屋はアパダナという謁見の間で、この部屋に通じる階
段の壁には、当時毎年春にペルシア帝国支配下の国々の使節が朝貢に参じ
た場面を描いたレリーフが刻まれている。

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★ペルセポリスはペルシア王ダリウス一世(BC522~486年)によって創建さ
れた政治的儀式の為の都市である。

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ダリウスはBC522年にペルシアの王位を奪取し、ナイルからオクサス、インダス
からボスフォロスに至るペルシア帝国の支配権を獲得した。

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ペルセポリスはイラン南部の広大で肥沃な平原の北端にあり、以前のペルシ
アの首都パサルガダエの南約50kmに位置している。

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そしてここでは500×300mの広さで高さ約12mの石造の大基壇の上に60年
以上にわたって10を超える建造物が建てられていた。

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入口大階段はこの基壇の北西部にあり門楼に続いている。ここでもパサルガ
ダエの門楼と同様に戸口はアッシリアの伝統をひく巨大な牡牛の石像によっ
て支えられており、建築物は全体としてパサルガダエのものと類似している。

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★ペルセポリス全体の大基壇、72本の列柱をもつ多柱式建物のアバダーナ
(謁見の間)及びタチャラ(百柱の間)とも呼ばれるエジプト建築の影響が強い。

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「ダリウスの宮殿」トリピュロン(三重門)三つの門をもつ建物で会議の間
と言う。

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「アバダーナ・ハーレム」クセルクス一世は大基壇西側の正面大階段を登り
きった所にある有翼人面獣身像が高浮彫風に刻まれた「万国の門」クセルク
ス一世の宮殿を建て、基壇部に「朝貢者行列図」の浮彫装飾のあるアバダー
ナ・ハーレムを完成した。

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最後期の大きな造営はアルタクセルクス三世の時代で、宮殿Gが着工され、
百柱の間と宮殿Hが完成された。

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全体の構想はダリウス一世によって括められていた。それはまさに王権誇示
のため壮大さと荘厳性を重んじたアカイメネス朝王室のアカデミズム美術であ
り根底には擬古様式がある。

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BC330年アレクサンドロス大王によって火を放たれ廃墟と化した。

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1,887年ファールス地方総督によって発掘が始まり1,931~1,934年ヘルツフ
ェルト、次いで1,935~1,939年エリック・シュミットを団長とする、シカゴ大学
オリエント研究所、1,939年以降にはイラン考古局によって発掘調査および修
復工事が続けられている。

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★宮殿は中央に列柱広間をもち、柱廊玄関が付属していた。

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壁は石の土台の上に日干煉瓦によって築かれていた。列柱は美しく彫刻さ
れた石で造られ柱頭部には背中合せになった2頭の動物の姿が形どられた。

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大階段から宮殿へ通路が続き、多数の浮彫が刻まれている。王に捧げられ
た貴重な品々や、珍しい動物の姿が描かれている。

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さしかけられた傘の下を歩む王や、ライオンや牡牛と闘う王、王の親衛隊や
ペルシア宮廷の貴人たちの姿が描かれている。

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20:10まで見学、陽がかげってくる。 21:35シラーズ・アパダナホテルへ到着。

08/15(月)07:00ホテル出発「ビシャプール遺跡、日帰り観光」
08:45休憩、峡谷の景色を撮影。

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10:00ビシャプール“Bishapur”着イラン南部ファールス地方、カゼルンの町の
北方約20kmにあるササン朝時代の都市遺跡。シャープール一世創建。

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1,935~1,941年にフランス考古学調査団が切石積の拝火神殿ないしミトラー
ス神殿、粗石積の宮殿址などを発掘。宮殿のイワーン、内庭の床面はアンティ
オキーアなど、ローマ領シリアの出土品に類似するモザイクで装飾され、さらに
隣接する聖域からはアカイメネス期彫刻のコピーも出土している。

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シャプール川が貫流する城外東方の隘路の両崖にはシャプール一世、二世、
バフラ―ム一世、二世の合計6点の磨崖浮彫があり、そこから東へ6km離れ
た山中のムダン洞穴入口には身長8mの巨大なシャプール一世の石製丸彫
立像が残っている。2km×1km城壁跡、見張塔は15mあったと思われる。

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シャプール一世の宮殿跡高さ25mのドーム状であったと言われる。石組、
漆喰塗に彩色はローマの建築術神殿の地下、アナヒタ女神を祭った石
組が堅固な為破壊をまぬがれている。地上7m。
11:20まで観光。シラーズホテルに帰り、バス故障の為乗換。

15:23午後の観光に出発。エルム庭園に着いたが、バラ園現在修復休園中。

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15:45シラーズで生まれた詩人の廟、2箇所を訪れる。 詩人ハーフェズ
“Hafiz”14世紀(1,324年~1,388年)イラン人は古来詩を得意とする国民で、
近世ペルシア文学は詩を以て始まり数多の天才詩人を輩出している。
ハーフェズは6,000近い詩を作った。ペルシア文学は芸術的な美しさがある。

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続いて詩人サーディの墓を訪れる。生年は不明だが1,291年に102歳没との説
あり。大詩人で大旅行家であった。「果樹園」「薔薇園」等の詩集は有名である。

17:00~19:35昨日見学したペルセポリスは時間が足りず、見残した箇所もあり
再度見学する。思いがけず砂嵐、にわか雨に逢う。
20:35シラーズのホテルに帰着、夕食。

★シラーズ“SHIRAZ”はペルセポリスの玄関口となっている町で、人口約42万人
バラと詩とワインで有名な町であった。最も栄えたのは18世紀中頃イラン全土を
支配したザンド朝の首都となった時期で、イラン最大のモスクであるマスジェッデ・
ノウ及びアティーク・モスクがあるが現在修復中の為見学不可能との事だった。
シラーズ周辺には遊牧民カシュガイ族が住んでおり、シラーズの町中でも伝統的
衣装を身に着けた姿を見かけることができる。

08/16 (火)08:05  シラーズを出発、東へ砂漠のオアシス都市ケルマンへ。
08:50 マハル湖“Mahirlu”塩湖50km×12kmという。
10:50~11:10 エスタハバーン“ESTAHBAN”で休憩。

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11:30~11:47ネイリーズ塩湖(NEYRIZ)100km×3km  露店のアーモンド、無花果。
12:15~13:10 ネイリーズ・レストランで昼食(ヨーグルト、チェロ・キャバブ他)
15:40~16:00 シールジャン“SIRJAN”木陰で休息、今日は550km8~9時間の移動。
イチジクの畑が続く、低い小さな木で果実は小型(ジャムにしたり、乾燥して利用)
アーモンドの木が山の斜面に多く植えられている。ピスタチオ・ガーデンがある。
18:45 ケルマン“KERMAN”の町に入り、シャリアテ大通りを走る。

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18:50~20:15 ハマーム博物館(17世紀建設)見学。バザールを歩く。
ケルマンは、人口約30万人、標高1,500mの地方都市。アクハバンホテルに宿泊。

08/17 (水)08:00 ケルマン・アクハバンホテル出発、東へ193km約3時間
のバスの旅、荒涼としたルート砂漠を抜けて行く街道の前方に、ナツメヤシ
やピスタチオの木の繁ったオアシスの町バム“BAM”がある。
08:50 マハン“MAHAN”「モスク」15世紀イスラム聖者の墓、回りの建物
の壁は約150年前に加えられた巡礼の人の宿坊、風の塔が2つある建物
の内部及びカナートの水を冷やす役もしていた。水汲み場がある。4つの
部屋は春夏秋冬でお祈りの場所を、寒暖に合わせ変える為。聖者の廟。

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12:10 バム到着、レストランで昼食後、廃墟の町を見学。古くから交易の中心
地として栄えた。町の北側にある旧市街には中世の町がそのまま残って居り、
往時の繁栄を偲ばせる。交易の町、軍事上の拠点として栄えたオアシスの町
バムは、砦をもち城壁で囲まれた市街区とその外側の居住区、そして周辺の
農地や牧地から成り立っていた。伝承ではバムの歴史はササーン朝時代(224
~651年)に始まると言われる。イスラム時代には布の生産や輸出で繁栄した。
原料の綿もこの周辺一帯で生産され、広範囲な灌漑システム
(カナート)の整った農地が広がっていた。14世紀に一時衰退してしまう。18世紀
にはアフガン軍に占領されたが、1,929年に解放されイラン東方の軍事上の重要
な拠点として、また交易の中心として再び繁栄を取り戻した。19世紀の中頃には
旧市街が膨れる人口を収容出来なくなり、南西に新しい町が作られ、19世紀末頃
には殆どの住民が旧市街より新市街に移動し、以後人が住んでいない死の町に
なってしまった。

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旧市街は本来のプランはほぼ矩形、東西約430m南北約300m、町の北側に
ある岩山の上に砦が位置している。周囲より約75m高くなっている。10世紀に
は難攻不落の砦として知られた。砦のすぐ東側に二階建のキャラバンサライが
あり、その北と西側が馬や駱駝を繋いでおく空間となっている。税関としての機
能も果していたと推定されている。家は基本的に日干煉瓦造りで石やナツメヤ
シの木も建築材料として用いられ、二階建も多く見られる。市街の主要な路地
は東西に2本南北に3本あり、この道に沿って店が並んでいた。町の主要な門
は2つで南壁にあった。

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1つは18世紀に閉ざされたが、もう1つは現在も入口として使用されている。
1,975年から修復が進められ現在ではイランのどの町よりも伝統的な町や家
の構造を知る壮大な博物館となっている。
15:15 まで街の見学をし、ケルマンに戻りアクハバーンホテルで夕食(料理は美味)

08/18 (木)07:30 ケルマンを出発北へ向う。イラン中部の町ヤズドへの旅です。

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11:40 RAFSANJANで休憩、ピスタチオと干イチジクを売る店、可愛い猫たちが遊ぶ。
13:43 ヤズド“YAZD”サファイエホテル“SAFAEYEH HOTEL”到着。昼食。
ヤズドは標高1,220m、近くに3,000m級の山脈あり、カナートがはりめぐらされている。
2,000年以上も昔古代ペルシア人の知恵が生み出した独特の地下水路、シルクロード
を通って中国に伝わり、今尚タクラマカン砂漠周辺のオアシスの暮しを支えている。
イランでは今でも新しいカナートが掘られている。カナートは今なお砂漠に住む人々の
暮しの中に生き続けている。

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16:30 出発、「ゾロアスター教寺院」50年前の建築、火を崇める宗教で、シラー
ズ郊外にある総本山の神殿は1,500年前のもので、その神殿の火を持ってきて、
絶やさないように燃やしている。ゾロアスターとは古代のイラン人がもっていた、
素朴な信仰を体系的に纏めた人物の名で、ヨーロッパでは ツァラトゥストラ 
“Zarathustra”で知られている。彼が生まれる以前のイラン人は火や水を祀る信
仰をもっていた。自然の法則を神の力だと感じて人々は神に祈り捧げものをした。

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その祀りを取仕切る神官の子としてゾロアスターは生れた。神官になる修行を
おさめゾロアスター教をまとめあげ、「ガーサ」と呼ばれる17章の詩文を残した。
ゾロアスターが神から霊感を受けて作った情熱あふれる詩で、文字に記された
のはササン朝の時代で、それまでは口伝えで教えが語り継がれていた。ゾロ
アスターは正義と公平の神アフラ・マズダを崇拝することを説いた。救世主信仰
や道徳的審判、天国と地獄、最後の大審判などのゾロアスター教の考え方は、
世界の三大宗教となるキリスト教、イスラム教、仏教に大きな影響を与えた。
現在ではゾロアスター教徒は25,000人に過ぎない。ヤズド周辺には15,000人の
教徒が住んでいると言う。それでもゾロアスター教の伝統は今日もイランの暦や
冬至の日の祭、春分の日に最も近い水曜日の祭等に受け継がれている。

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17:30 金曜モスク。イランで一番美しいと言われるタイルの美しいモスク。

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卍模様と幾何学文様の組合せの装飾モザイク、アーチ型天井のモザイク。

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地下沐浴場600年前の木の扉などを見学。

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19:10 「沈黙の塔」ヤズドの町の郊外に小さな丘があり、曲がりくねった急な
坂道を登りつめると辿りつく。岩山の高さ50m近い、厚い石壁でできた高さ
6~9mの円形の建物で中に入ると天井がない。中央部に大きな井戸があり、
その周りを石の台が内側に傾きながら三重に並んでいる。かつては人が死ぬ
とこの塔に運ばれ鳥葬が行われた。鳥葬は古代イランに成立したゾロアスター
教の葬式で40年位前まで行われていたが、以後禁止となり埋葬されている。

08/19(金)06:55 ヤズド・サファイエホテル出発(ホテルよりレターセット贈物)
08:00 ヤズド空港発 IR―297 09:00テヘラン空港着
09:55 郊外南方15km 都市遺跡 レイ“RAYY”の観光。
10:55 アリーの泉 この泉の正面の壁にガージャール朝の浮彫がある。
11:15 トウグリグ・ペク テヘランの南に隣接する人口約12万人の小都市遺跡。
セルジューク朝時代東西交易の中心地の一つとして栄えたが1,221年破壊され
衰微した。陶業の中心地で多くの窯址が発見されている。10~12世紀織物業
も盛んであった。トグロル王の墓である塔は24の星型の周囲の線、天井は吹抜け。
11:50 テペミル 4~5世紀頃、拝火教神殿の遺跡が小高い丘の上に2つの建物あり。
12:08 レストランで昼食。
13:30 ホメイニモスク(ホメイニ氏の墓)10km四方の廟。天井はガラス張り、入口で
靴を脱いで内部へ入る。全国より泊りがけで参詣の人が訪れ人の群、現在改築中。
15:25 シャーラバード 宮殿の中ホワイトパレス、(カメラ、バッグ持込禁止)
40Haの土地に10数の宮殿がある。
18:40 テヘラン発 IR-468 マシャド着 20:10 ホマホテル“HAMA HOTEL”夕食

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08/20(土)09:30 マシャド・ホテル出発 マシャド市内観光へ
シーア派イスラム教徒の巡礼で賑わう マシュハド“MASHHAD”はホラーサーン
州の州都で人口約200万人イラン第2の都市。シーア派の第8代イマームである。
イマーム・レザーの「殉教の地」を意味する。イマーム・レザー廟に巡礼すると病
が癒されると言われ、イランのみならず近隣のパキスタンやアフガニスタンを始
め、アフリカ、東南アジア等世界からの巡礼者が引きも切らずに訪れる。イマー
ム・レザーの葬られている区域はハラム(聖所)と呼ばれ基本的には異教徒には
門が閉ざされている。ここでは敬虔な教徒が棺に接吻し、涙を流しながらお祈り
を繰り返すのである。イマーム・レザー廟は9世紀にその基礎が築かれたが、そ
の後現在に至るまで、破壊と修復を繰り返しながら今日の壮大な廟に発展した。

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(765~818年頃) イマーム・レザー廟には女性はチャドルを着用しなければ
門から中へ入れない。

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カメラの持込も不可。現地旅行社でチャドルを用意し、皆借りて着用し廟内
に入る。大変な混雑で人混みの中を歩き、汗を流しながら午前が終る。

14:10 ホテル前のレストランで昼食後、ホテルで休息する。

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15:10 民族詩人と呼ばれるフィルドゥスィーの墓を訪れる。1,300年前(11世紀)
サーマーン朝ではペルシア詩人の保護と共にイスラム以前のイラン人の神話
や伝説が集められた。 ここからイラン民族の文化や伝統を強く意識した民族
叙事詩が生まれてくる。

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その完成者がフィルドゥスィーだ。彼は30年の歳月をかけて心血を注いだ一
大民族叙事詩「王書」を完成した。 しかし皮肉なことにサーマーン朝は既に
滅亡していた。

17:05 イマーム・ガザ―リ廟、800年位前12世紀の建物。モンゴルの軍隊に
攻め滅ぼされたので、当時何に使用されたのか不明。

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20:00 マシャド発IR-461 テヘラン着 21:15 ラレ・ホテル“LALEH HOTEL”夕食。

08/21(日)「イラン・イスラム共和国」首都テヘラン“TEHRAN”
北緯35°41′東経51°19′人口約676万人 アルボルズ山脈を背にし、南
北に延びる斜面上の巨大な扇状地の上に発達した町で、海抜1,100~1,700m
にわたる。南の扇端部に当るのがレイ“RAYY”の町で古い文化層をもつ。扇頂
部に当るテヘラン北部のゲイタリエでは約350基の鉄器時代の墓が発掘されて
いる。真夏は40℃迄気温が上り、冬は降雪あり氷点下迄下ることが多い。降水
量は年間約290mmで冬から春にかけ雨が降る。宗教イスラム教が約98%残り
2%がゾロアスター教、キリスト教等。1,786年に首都と定められ、現在迄首都の
地位を保っている。

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09:00 考古学博物館 BC1,000~3,000年アケメネス朝、ペルセポリスより
持ってきて保管しているレリーフが多数。
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レリーフを、1階、2階と見学していたら、1,5時間は瞬く間に過ぎた。
10:45 ガラス博物館見学。11:40 バザールを1時間散策。
13:00 イラン料理店で昼食アーブグーシュト(壺の中に煮込んだチキン、野菜)等。
14:40 国立銀行地下国宝の見学 1時間。

22:00テヘラン発 IR-800 北京経由(6時間30分・トランジット1時間30分)
08/22(月)14:35 成田空港着(テヘランより12時間)
15日間の旅は終った。旅を続けて16年の中、パタゴニア、アラビア半島に次ぐ
長い旅だった。海外旅行を今後何年続けられるか判らないが、旅は私を誘う。

遺跡発掘、調査は続いているだろう。20年経過した現在はどうなっているだろう。

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No title

イランの芸術・文化のレベルの高さ、とくに建築のデザインとディテールはため息がでるほど美しいです。

今回はペルシャ
本当に色々な国に行かれていたのですね
アラベスク
建物にピッタリの柄で
美しいです

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