『 北 ア フ リ カ ・ チ ュ ニ ジ ア の 旅 』

        『 北アフリカ・チュニジアの旅 』
                             2014/04/10

遺跡同好の旅仲間4人で選んだのが「 チュニジア 」でした。 
『 マグレブ 』とは、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを総称して言う。
アラビア語で「日の没するところ」という意味だ。
マグレブは、アラブとヨーロッパ、アフリカが交わるところだと言う。

1994年5月1日出発10日間の旅。参加19人、添乗員1人、合計20人の旅でした。
砂漠の砂嵐を予想してカメラ対策として、予備カメラを持参して出かけました。

5/1 19:20 大阪出発 LH-743 香港経由フランクフルト 5/2 06:10 着乗換LH-4920
10:00発チュニス 11:25 到着。TUNISIA TUNIS MECHTELに チェックイン
(時差―8時間)大阪を出発して24時間・飛行時間19時間の長い旅でした。

5/2 14:30 観光に出発「カルタゴ遺跡」紀元前9世紀に建設されたカルタゴは、
紀元前5世紀にはローマと並ぶ大都市に成長、アフリカ征服を目論むローマは
快く思わず3回にわたるポエニ戦争でカルタゴを破壊する。
その後すぐにローマ人の入植が始まった。

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ビュルサの丘“Byrsa”に立つと地中海が見下される。

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アントニヌスの共同浴場 “Thermes d’ Antonin”紀元前2世紀、ローマの五
賢帝の一人、アントニヌス・ピウス帝により建設された。広大な敷地に何百と
いう部屋があった。温水風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、マッサージ
ルーム、食堂や談話室等揃っていて、大理石が贅沢に使われて、フレスコ画
などの美術品も置かれ、現在もモザイクの床のかけらは、あちこちに残っている。

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風呂に使う水は60kmも離れたザグーアンの水道橋から運んでいた。この
遺跡は海を背景に建っている。ローマの貴族たちは海を眺めながら風呂
に浸かっていたのだろうか。

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5世紀になりヴァンダル人により破壊されてしまったのは勿体ない話だ。
しかしこの広大さは驚くばかりだ。

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この美しい彫刻のある部屋は浴場の中のどんな場所だったのか、あまりに
も羨ましい光景が想像される。この大浴場を山の方へ上った処にはローマ
の庶民たちが住んでいた住居跡などが残っているという。

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トフェの墓地“Tophet et Ports Pumique”この小さな墓は、神への犠牲に
なった幼児たちのもの。奥には幼児の首を切った台もある。カルタゴ時代
にはバール・ハモン(フェニキアの古代宗教の神)とタニット(カルタゴ
の守護神)を祀った聖域だったところ。カルタゴでは神への生贄のために
幼児を殺して捧げる習慣があった。カルタゴ人は残酷だとローマ人から
非難されたのはこのためだ。

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この墓石のマークはカルタゴの守護神タニットを表している。

「シディ・ブ・サイド」地中海の青、空の青、チュニジアン・ブルーのドアの青が白壁
の家に映える街。チュニジアの“サントロぺ”などと呼ばれ最も美しい街の一つ。

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カフェが多いが中でも有名なカフェ・ナットは階段の上にあり、テ・チュニジアン
(ミントティー)甘くて熱いのをガラスのカップにいれて持ってくる。

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チュニジアンブルーの扉に鋲で独特の模様を描いたチュニジアンドアの見事な文様
の芸術はチュニジアの誇る財産である。更に文様には一つとして同じものがない。
白壁の町並にはこれらのドアがことのほか似合うのだ。

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チュニジアンブルーのドアを、青い海、青い空と総称して「三つの青の世界」
と言われている。ドアの色や文様は南に下ると次第に変化して来るのだ。
アンドレ・ジードをはじめ数多くの芸術家たちを虜にしたこの街には建築に纏
わるエピソードがあるとのことだ。

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5/3 バルドー国立博物館“Muse National du Bardo”「チュニジアのルーブル」
とも呼ばれており、モザイクのコレクションでは世界に名を轟かせている。
チュニジアの貴重な財産だ。

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この建物はベイ Bey と呼ばれるオスマントルコ帝国支配下のチュニジアの統治者
の屋敷だったが1882年アラウイ博物館の名で創設され1956年フランスからの独立と
共に現在の名称に変った。3階建で30室以上もの部屋を持つ見応え充分の博物館である。

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スフアックスで発見された3点のモザイクはバルドー博物館が誇る傑作である。

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モザイクもやはりローマ・ギリシア神話をテーマにしたものが多いが、
海や人々の日常生活を描いたものも素晴しい。

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チュニスの旧市街メディナにあるスークを歩く。旧市街の路地という路地は
無数のスークがひしめいている。帽子のスークでは羊の毛のトーク型帽子を
枯草ブラシで丹念に毛羽立てる作業を行っている。
チュニジアの人にはトーク型の帽子がよく似合う。

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香料の店、野菜屋さん、雑貨屋、土産物屋、カフエと様々な店が並び、活気に溢れている。

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午後、専用バスにてカイラワーンへ。途中「ザグーアンの水道橋」長さが世界一
2000年前から続くローマ水道橋。

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ローマ人の知恵と執念の結晶であるこの水道橋、チュニジアが誇る大遺跡である。
建設の指揮をとったのはローマの5賢帝のひとりハドリアヌス帝、2世紀のことである。

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この水道橋は全盛期には123 km 現在残っている区間だけでも約20 km もある。
長さは世界一とのこと。

チュニスの南約60 km の小高い山々に囲まれた街ザグーアン“Zaghouan”にある水源地から
カルタゴの大浴場まで水を引いたという。山あいのこの街の水が最も質が良いからとのこと。
ローマ人の風呂に対する執着心は強かったようだ。風呂のみではなく、公園や家屋敷、噴水
などにもふんだんに水を使っていて、それらを供給していた。

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チュニスからケロアン方面へ3号線を南下するとマハディアを過ぎたあたりで、
この水道橋が忽然と現れる。周りには何もなく荒涼としているだけにその迫力
は鬼気迫るものがある。10m以上のアーチが荒野に延々と続いており、その横
を車が通り過ぎて行く。このアーチは花崗岩を切りだして、それを積み上げて
造られたものだ。その労働に当ったのはボン岬石切場の奴隷たちだった。
水道橋の残骸はチュニスのバルドーでも見ることが出来る。

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「トゥブルボ・マジュスの遺跡」紀元前46年にローマに占領され、2世紀から3世紀にかけて
栄え、その後は衰退の一途を辿る。ヴァンダル族に破壊されて以後死の町になった。

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かつてここにはローマ領アフリカの中で最も美しいと言われたカピトール主
神殿があったのだが今では青い空に突き刺さる4本の円柱が残るだけだった。
19:30 “KAIROUAN”カイラワンに到着 HOTEL CONTINENTAL宿泊。

5/4 チュニスの南156 kmの内陸にあり、昼夜の寒暖差が40℃もある。サハラの
真中よりも砂漠の入口にあるこのあたりの方が寒暖の差が大きいとは不思議である。
夾竹桃は夏の花だが美しく咲いている。

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コンチネンタル・ホテルの向い側に貯水池「アグラビットの泉」 がある。
9世紀、アグラブ朝時代に造られたものである。この貯水池のお陰で以来
カイロワン市民は水不足に悩むことなく暮せるようになったと言う。
ホテルの向いにある建物の屋上から眺めるとよく見える。

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イスラムの聖都 KAIROUAN マグレブ最古のモスク「グランドモスク」674年に建設、692年
に再建された。当初キリスト教の教会だったが、イスラム教の教会に建て替えられた。
ミナレットの高さ35m、国内ばかりではなく、モロッコ、アルジェリア、リビアからも
巡礼が訪れる。カイラワンは670年にウマイヤ王朝の総督ウクバにより建設された。

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このグランドモスク別名ウクバモスクは、その名にちなんで名づけられた。
1日に5回祈りの時間がある。コーランがミナレットから流れる。チュニジア人の99%は
スンニー派イスラム教徒。六信五行が義務付けられている。すなはち、アラー、天使、
聖典、預言者、来世、宿命の6つを信じ、信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼の5つを行う。

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カイロワンは城壁都市であり、メディナは城壁に囲まれている。グランドモスクもその他
のモスクもこのメディナの中にある。

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「シディ・サハブモスク」は別名ベルベルのモスクと呼ばれ、マグレブで最も美しい
モスクと言われる。

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中庭のタイルのアラベスク模様は素晴らしい。

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このモスクを建てたシディ・サハブはマホメッドの友人だったので、シディ・サハブ
が最後に休んだこの場所は、イスラム教徒にとって大切な神聖なのだ。

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大廃墟都市スベイトラ“SBEITRA”カイロワンの南西約100 km 広大な敷地の
入口に建てられた凱旋門は3世紀初めから4世紀にかけて建てられたもの。

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その奥にフォーラムが広がっている。地面は細かい硬砂岩で舗装されており、周りを
高さ4mの壁と柱が取り囲んでいる。戦時には要塞の役目を果していたようだ。

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更にその奥は神殿で、ローマ神話の主神ユピテル、同じく最高女神ユノ、そして
知恵の女神ミネルヴァが祀られている。コリント様式の柱や彫刻は非常に美しい。

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フォーラムの外には大小様々の要塞の跡があり、これを辿って歩いて行くと、浴場、
教会、劇場の跡がある。典型的なビザンチンの遺跡である。今では遺跡の他は何も
ない街だが、当時は隆盛を極めて居た。何より重要なのはこの町からアラブの歴史
が始まったと言えることだ。

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7世紀、東ローマ帝国のグレゴアールが皇帝に即位した時に、彼の官邸はカルタゴからこの
スベイトラに移された。その1年後、歴史に残る大事件「スベイトラ事件」が起った。

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2万人のアラブ兵がスベイトラの市街地を襲撃したのである。皇帝グレゴアールは処刑
され、都市は略奪された。ここにビザンチン時代は解体し、アラブの時代が始まった。
しかし現在残っている遺跡群はいずれもビザンチン文化のものだ。アラブ人たちは
ビザンチン帝国を占領した後も建物は存続して使用していたようである。

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15:30 スベイトラを出て南下する。3時間走り GAFSA に着く。駱駝の群が行く。
ガフサより南西に向かう。18:55 TOZEUR トズールに立寄り、今日の宿泊地 NEFTA
ネフタに19:50 ホテル・キャラバン・サライ 夢のお城のようなホテルに到着した。

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5/5 ホテル・キャラバン・サライ ネフタ“NEFTA”はコルバイユ(花籠)と呼ばれる
小さなオアシス。夢のある外観、石造りの城砦のようなホテル・キャラバン・サライ

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中庭にはプールもあり、花壇の様々な花が彩りを添えている。ここで滞在
出来たら最高なのに一泊は慌しく過ぎてしまった。

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6:00 AM ランドクルーザー4台に分乗してアルジェリアとの国境に向かって出発。
トヨタの中古車で舗装の悪い砂漠の道路を、慣れたドライバーは飛ばす。

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赤茶けた大地が続き、砂漠「サハラ」を実感する。

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第1のオアシス“CHEBIKA”ケビカ は低い地にある平坦な砂漠。

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タメルザ“TAMERZA”のオアシスには小さな滝もあるが赤茶けた大地が
小高い山となっている。

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とにかく登って行く。山頂から見下す景色は、ベドウインの廃墟のようだ。

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崩れ落ちた赤い日干煉瓦の家がぎっしりと建っていて、サハラの太陽に照らされ死の風景だ。

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絶壁の断層が続く道路を進み、国境のオアシス“MIDES”ミデスに向かう。
ここは国境緩衝地帯となっている。国境警備隊入出国場所は離れている。

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オアシスとは、ほんの少しサハラの中に緑があり、それでもほっとする場所なのだ。

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ここに住む人々はどんな生活をしているのだろう。ここから“TOZEUR”トズールへ戻る。

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途中チュニジア最大の塩湖“Chott el Jerid”ショット・エル・ジョリドに寄る。

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白い宝石を敷きつめたように、土中の塩分の結晶が湖岸を埋める。

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さすがサハラの真中だけあってビッグスケールだ。塩湖は海水とは関係なく
砂の下が岩盤のため、雨水が一か所に溜り周りの砂の成分が流れ込み、これ
が乾燥、蒸発して、その土中の塩分が噴き出して結晶となったものだ。

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現在の状態になるまで4,000年~5,000年かかっている。夏は大地が乾燥し、
結晶は雪のように見えミラージュ「蜃気楼」もひっきりなしに現れる。

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トズール“TOZEUR”にある砂漠動物園を見学する。

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かもしか、ガゼル、さそり、へびなどが見られる。ユーモアたっぷりのショーを
サービスしてくれる。トズールは20万本のナツメヤシが茂る大オアシスなのだ。

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ドウーズ“DOUZ”より南は「グレート・エルグ・オリエンタル」大砂漠、大砂丘、
風紋を刻んだ砂丘の風景が広がる。

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岩砂漠、土砂漠がほとんどのチュニジアの中で、最も砂漠らしい砂漠なのだ。
砂埃、昼間の強い陽射、夜間の厳しい冷え込みは、住む人々にとって決して住み
易い場所ではない。身を護る為の装い、白い長いターバン、丈長の衣装を着用。

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外国人には憧れの砂漠で駱駝乗りを試みる。

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アラビアンナイトのキャラバンはどのようにこの砂漠を歩いたのだろうか。

バスは東へ地中海ガベス湾に面した都市 GABES へと向かう。

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オアシス・ホテル“GABES OASIS HOTEL”に一泊する。ガベスは南北が交差する
重要なポイントとなる都市です。ホテルの庭は樹や花がカラフルに彩られている。

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5/6 8:30 南への旅に出発する。9:00 露店には、ナツメヤシの実が干してある。

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メドニン“MEDENINE”へ到着。穴蔵の変形ゴルファ“Ghorfas”と呼ばれる
蜂の巣のような形の穀物倉庫がある。

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ゴルファが幾つか集ったものがクサール“Ksars”と言う。
中庭は人々の憩いの場だ。

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ベルベル人たちがアラブに追われて辿りついた彼らの聖域なのだ。

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ゴルファはベルベル人の穀物倉庫で、正面から見ると長方形の部屋が
3~4階分位重なり天辺に半円形の屋根がついた丁度蜂の巣のようだ。

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このゴルファが吹抜けになった中庭の周りに集ったのがクサールで、
平和な時代にはマーケットが開かれたり、人々の憩いの場となるが、
戦時には要塞に早変りする。

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メドニンを出て22 km マトマタ“MATMATA”に到着。穴居住宅で有名な
場所だ。バリバリの岩砂漠の中にある。先住民族ベルベル人が考え出した。

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地面に穴を掘って生活している。アラブの侵攻を逃れるための苦肉の策
だったと言う。

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ベルベル人のルーツは元々北アフリカに住む先住民族だった。

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フェニキア人以前から先住、紀元前4世紀航海術の発達によりギリシア人、
ローマ人がチュニジアにやってきた。

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先住民族のことをバルバロス(野蛮人)と呼んだのがベルベルの語源と言う。

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避難の目的で造られたこの穴居住宅は、先ず岩盤を掘り下げて大きな穴
を掘ったのだが、トンネルを拡張する要領で横に掘り進めるから、家族
が増えて部屋が足りなくなっても、どんどん増やせる。

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更に穴蔵の中は井戸と同じで、冬は暖かく夏は涼しいため快適な住まいなのだ。

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13:30 レストランのある素敵なホテルで昼食。クスクスその他のバイキング料理。
海岸沿いをガベスに戻ってくる。

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ガベスのオアシスは規模が小さいので馬車に乗って一廻りする。
シディ・ブルババモスクの周辺は旧市場があり、スークを散策する。

観光後海岸沿いを北上、スファックスへ 18:00 SFAX ABOU NAWAS SFAX CENTER
アボウ・ナワス・スファックス・センターに宿泊する。

5/7 「旅行第7日目」8:00 出発バスにて北上、チュニスに、途中観光をしながら向います。

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「エル・ジェム」砂漠にそびえるコロセウム“Roman Amphitheatre”は、
周囲に遮るものが無い砂漠の真ん中にある。

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ローマ人がマグレブに建設したコロセウムのうち最も巨大なものだ。

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230年ゴルディアン皇帝により建設されたものだが、チュニジアに建設
された、約25個のコロセウムのうち最も保存状態の良いものである。

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石を切り出して漆喰で固めて積み上げる方法がとられているが、この
作業にあたったのは当時の奴隷たちだった。

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ローマの建築技術の高さに感心すると同時に、多くの奴隷たちの犠牲の
もとに生れた産物であることを考えずには居られない。

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縦149m、横124m、高さ36m、アリーナの直径65m、約3万5千人の観客を収容できる。

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ローマのものと比較しても遜色は無い。アーチが3層になっている美しい競技場では、
生命を賭けた人間同士の闘いや、猛獣と人間の殺し合いなど、残虐なゲームが行われた。

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競技場にはよく血を吸うようにと砂が敷かれていたが、砂をラテン語でHARENA
と言うところから「アリーナ」の名がとられたと言う。

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戦時に要塞として使用された。697年アウラース地方の女王カーヒナ率いるベルベル人と、
アラブ軍の間に戦争が起った時、女王カーヒナはこのエル・ジェムのコロセウムに仲間と
共に立て籠り、遂に火の中に身を投じて自らの命を絶ったと言う事実が残っている。

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12:00 モナスティール“MONASTIR”リゾート地、前大統領ハビブ・ブルギバ
の生誕地。(1903年生、1987年ベン・アリに大統領を譲り隠居中)

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海岸沿いに4星ホテルが林立する。
町の中心にあるメディナ(城砦)の城壁の角にあるリバトに上って見ると、
街全体が見渡せる。リバト(政治的拠点)は8世紀に建てられたものである。

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町の中心にあるメディナ(城砦)の城壁の角にあるリバトに上って見ると、
街全体が見渡せる。リバト(政治的拠点)は8世紀に建てられたものである。
リバトは旧イスラム修道院だった。戦時には何千もの兵士がここを基地にして居た。

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この隣がブルギバモスクで1963年にブルギバ一族に敬意を表して建てられたものである。

スース“SOUSSE”チュニス、スファックスに次ぐチュニジア第3の都市に到着、
レストランで昼食、魚塩焼き、野菜サラダなどを食べる。

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メディナの南はずれにある博物館に行く。バルドー博物館の次に大きいのがここである。

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モザイクのコレクションが中心、キリスト教のモザイク、2~3世紀のギリシア神話の
モザイクが多い。

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博物館の屋上よりメディナを眺める。

スースを出発し北上チュニスへ約2時間の行程、バスの車窓からチュニジアの景色を眺める。
19:00 チュニスに到着 ホテル・メクテル“ TUNIS MECHTEL”にチェックイン。

5/8 8:00 バスで出発、終日観光。150 km 西へ、農業地帯が続く。甜菜の畑、オリーヴ
の畑、オリーヴの産地として1位スペイン、2位ギリシア、3位チュニジアである。
オリーヴの実を収穫する時期は軍隊が一斉に駆り出されるとの事、一時期に人手が要る為
なのだ。国家が統制し機械化された現在でも8,500万本もあるので大変らしい。

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ブッラ・レージア“BULLA REGIA”ローマ時代の地下遺跡。

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今から2,000年前カルタゴに対抗していた先住民族ヌミディアが居た。

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ヌミディアはローマと手を結び勢力を振るったが、その都市は地下に広がっていた。

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夏の暑さも地下までは届かない。地下水槽には並々と水を湛えていた。

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ローマに併合されるまでは、ブッラ・レジアはヌミディア王国の首都だった。
ヌミディア王国は今のチュニジアの北部、アルジェリアとの国境付近にあった。
略奪を生業とした国家であったが紀元前3世紀のマッシニッサ王の時代には、
北アフリカを統一する勢いに発展した。

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ブッラ・レジアは夏の暑さが特に厳しい為、地下に住居が形成された。
マトマタのようなシェルター型ではなく、立派な「地下都市」である。

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乾燥した地上から階段を下りて地下に入ると、水槽の完備された画期的な
古代人の生活の場がある。

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この地下都市は、かなり広く一面にモザイクが施されている。茶、黄、緑など
落着いた色彩の幾何学模様のモザイクは、明り取りの窓から入る光を受けて
美しい。モザイクは地下に保存されている為、色もほとんど褪せていない。

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地上が駄目なら地下に都市を建設しようとする発想と、その建設技術には感心させられる。

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地上には神殿や劇場、狩りの館などが、広大な大地の中に遺跡として残って
いる。神殿にも美しいモザイクが施されているが、そのテーマは海の神
ネプチューンや漁の様子など、海に関するものが主だ。当時の人々にとって
海は重要な意味を持っていたのだろう。
円形劇場では9月に「ブッラ・レジア・フェスティバル」が開かれる。
広々とした遺跡群の中で鑑賞する野外劇や民族音楽は、今が20世紀だという
ことを忘れさせてくれるだろう。夏のひとときをローマ時代に帰ったつもりで
遺跡群の中を、野外劇場で過ごすのは楽しいことであろう。

11:45 ブッラ・レジアを出発して ドゥガ“DOUGGA”へ向う。

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14:45 到着する。ドゥガの歴史は古い。カルタゴ時代以前から先住民族の
都市だった。当時ドゥガ市民であることはスティタス・シンボルだった。

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ドゥガはかつてトゥガ“THUGGA”と言ってヌミディア王国の王候貴族が住む街だった。

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その後紀元前46年シーザー軍によって占領された。ローマの発展と共に
街は繁栄し、2~3世紀に全盛期を迎えた。

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ドゥガの人々は、今のチュニスやスファックスのように、ドゥガ市民で
あることに誇りをもち、婚姻もドゥガ生れ同志に限り濃い血を守った。

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しかし3世紀後半になると、ローマ勢力の衰えにならってドゥガも次第に弱体化してしまった。

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4世紀に勢いを盛り返した東ローマ帝国の指導のもと街の復興がなされた。
後はドゥガの市民たちが街を守り続け、19世紀ヨーロッパ諸国により修復された。

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このような努力の結果、遺跡はかなり保存状態が良い形で残っている。

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西のはずれのアイン・エル・ハマム“AIN EL HAMMAM”は貯水池から水を引いた水道である。

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数々のドゥガ市民の生活の跡は小高い丘の上にある。

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街の中心のキャピトル“Capitol”は屋根も完全に残っている。
166~167年に建設されたもので、神殿とフォーラムが併設されている。

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神殿は主神ユピテル(ゼウス)女主神ユノ、智恵の女神ミネルヴァに捧げられたものである。

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神殿とフォーラムは6世紀に東ローマ帝国により復興された。

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キャピトルの西には女神ジュノンに捧げられたケレスティス神殿(3世紀のもの)がある。
ドゥガにも嬰児を神に生贄として捧げたサタン神殿がある。小さな骨壷が見られる。

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この遺跡群の中で唯一、ローマ時代より以前に造られたものがある。

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リビューピュニック霊廟は紀元前3世紀のヌミディア王国時代に造られた。

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街の彼方此方には遺跡に限って、浴場や公衆トイレなど、市民たちの日常
生活も垣間見ることができる。トイレは水洗である。

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3世紀頃ローマ人たちにより造られたのだが、その近代的技術は素晴らしい。

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この遺跡群は600m×700m位の広範囲にあり、歩いて廻ると2時間近くかかる。

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野外劇場は円形の、かなり大きい保存の良い劇場跡で、毎年6月の第2週
に「ドウガのフェスティバル」が行われるとのことだ。添乗員の山口さんが
フォークソングを熱唱する。音響が見事に拡がって効果覿面だった。

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少し小雨がばらついたが直ぐにあがる。

16:45 見学を終りチュニスまで約2時間の道程をバスで帰る。

旅行第9日目
5/9 TUNIS MECHTEL HOTEL 7:30 朝食前のひとときホテル周辺を散策する。
9:50 ロビー集合、空港へ向け出発。 12:15 LH-4911 チュニス発フランクフルト着
乗継 16:55 LH-742 18:00 発 5/10 17:25 大阪着(所要時間15時間35分)でした。

日本を出発した時点から気持を切替え、期待に胸をふくらませて訪れる異国に思いを
馳せて旅は始まる。いつでも期待を裏切らないのが旅の醍醐味なのだ。



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地中海を見下ろして、有名なミントティを味わいたいですね。そのときは、地中海の風で、トーク帽子が頭から飛ばされないように気を付けながらですが(笑

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地中海を見下ろして、有名なミントティを味わいたいですね。そのときは、地中海の風で、トーク帽子が頭から飛ばされないように気を付けながらですが(笑
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