『 私の海外旅行 』

             『 私の海外旅行 』
                            2015/03/09

 定年退職の前、在職中に勧めてくれる人が居て海外旅行が始まった。退職後、
大阪ゆうゆうの里に終の住処を定めて25年になるが、加齢と腰痛等の為2,001年
の旅を最後に海外旅行は終った。気分転換のため長年続けてきた、生きる為の
手立てだった。
 腰痛治療のため楽健法を受けながら通った東光寺で、山内宥厳師の携わった
日本アーユルヴェーダ学会、パソコンとの出会いがあり、心身とも指導を受けて生
き甲斐のある日々を過ごすことが出来ました。ブログを始めたのも、海外旅行記を
ブログに書く事になったのも、山内師から勧められたからでした。書き方が判らず、
アルバムから写真を選びスキャニングして、キャプションを入れる方法まで指導して
頂き、漸く慣れてきたと思ったら1年経っていました。アルバムは天袋に保管してあ
るので、その都度脚立に上って出しているのですが、取り落して留め金が外れバラ
バラになって終いました。手の痺れと痛みは徐徐に進んでいるようです。膝の痛み
も日々に増してきたので、やがて自分が脚立から落ちるかも知れないと思いました。
海外旅行記のブログも18件書いたので、パソコン入力の仕事も長時間続けられなく
なってきたことだし、これで終りにするべきかと思うことしきりです。

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『 モロッコとカスバ街道の旅 』

             『 モロッコとカスバ街道の旅 』
                                 2015/03/03

1988年12月30日出発11日間のツアーは下関で職場の年末休暇を利用の
旅行でした。旅行会社の企画するツアーは年末と夏休みに集中するようです。
勤め人はその時期しか休暇がとれないのが実状です。
未知の世界に期待して集ったのは23名でした。

1988年12月30日14:50福岡発JL382便 成田着16:25 成田発20:00イベリア
航空IB 894便 北回りアンカレッジ経由・マドリッド着12/31 05:30 (17時間・
時差8時間)乗継・マドリッド発08:40 IB 833便・カサブランカ着 09:25 ムハマン
ド5世空港は市の南西約30kmなので、バスにて10:48出発市内へ向いました。
(時差9時間)

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アフリカ54カ国のうち北西部にある、モロッコ“MOROCCO”の人口は2,300万人、
その60%はベルベル人(ハム族系の先住民族)です。太平洋岸にある港町カサ
ブランカ“CASABLANCA”は人口350万人、この国最大の都会で経済の中心地
でもあります。18世紀にムハマンド・ベン・アブダラーによって再建され、アラビア
語でダル・エル・ベイダ(白い家)“Dar el Beida”と呼ばれるようになった。この名
がスペイン語に翻訳されてカサブランカと呼ばれるようになったそうです。

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ハッサン2世モスクは現在建設中。海岸沿いの道路はリゾート地との事です。
12/31(土)12:25 昼食は海鮮レストランで魚料理でした。午後は市内観光をしました。

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花市場の花が美しいのでバスを下りて撮影しました。モロッコの衣装、長衣は
「ジェラバ」と言います。靴は踵のない先の尖った「バブ―シュ」を履いています。

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王宮“PALAIS DU ROI”国王がカサブランカに滞在する時に使用される宮殿、
一般の人は入城できない。王宮の門前の広場から真っ直ぐに続く道路の街
路樹は蜜柑が実っている。

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ムハマンド5世広場“Place Mohammed V”はカサブランカの中心に位置する
広場、主要道路はこの広場から放射状に延びる。ここからハッサン2世通り
を500m南下した処に、

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国連広場“Place des Nations Unies”がある。広場を囲むように中央郵便局、
裁判所、観光案内所、シティホール、劇場、シティバンク、市庁舎等がある
噴水のある広場、噴水の前で金、土、日曜日の8:00PM~9:00PM音楽の演
奏会がある。

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1989/01/01(日)サナ・サイ―ダ(明けましておめでとう)カサブランカ09:00
出発してラバト“RABAT”着10:30カサブランカの北東92km大西洋岸に位置
するモロッコの首都、現国王ハッサン2世とその家族が住む王宮“Palais du
Roi”は市の南端にある。1864年に建造されたもので、脇の建物は20世紀の
建造。通常金曜日には祈祷のために、王宮前の広場を横切ってアルファス・
モスク“Mosquee al Fas”へ行く王様の華やかなパレードが行われる。

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12時~13時までとの事。衛兵たちの制服や、国王の純白の衣装、着飾った
白馬などが印象的だとのこと。緑色の屋根が美しい宮殿でした。

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バスの中から六角形の塔のある国防省の建物を撮影する。モハメッド5世廟
へ向う途中、シェラ“Chella”の塁壁の向うにブ―・レグレグ川が望まれた。
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ローマ時代の遺跡が今も発掘中、1339年にはマリーン朝のアブー・エル・
ハッサンによって城壁が築かれ基地として使われた。この城壁で囲まれた
地域を今ではシェラと呼んでいる。

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ハッサン塔“Tower Hassan”44mの高さで終った未完の塔、アルモハッド
朝のヤコブ・エル・モンスールによって1184年に建築が開始されたが彼の
死後工事は中止された。ムーア式建築の代表として高く評価、

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塔の南側には360本の石柱が残っている。(スペインのセビリアにあるヒラルダ
の塔、マラケシュのクトウビアの塔と共にハッサン塔はムーア式建築の代表)

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ムハマンド5世廟“Mausolee de Mahammed V”はハッサン塔と同じ敷地内
にある廟です。

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敷地の入口には赤と白の華麗な軍服に身を固めた2人の槍騎兵が廟を守
っている。ムハマンド5世は1956年にフランスから独立を勝ち取ったスルタン
で、1961年に死去した。廟は1962年から1973年にかけて建造されたもので、
伝統的なモロッコ美術の技法である。

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ラバトは、メディナと新市街とに2分されている。市の北部はメディナがある。
12世紀建造のアルモハッド朝の塁壁と17世紀建造のアンダルシアの塁壁
によって囲まれた地域。南の新市街はメディナとは対照的に落着いた地域

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1912年にフランスの保護領になってから発展した処で、近代的な店、緑豊
かな歩道、銀行や郵便局の佇まいはヨーロッパの街並を思わせる。
ホテル・シェラにて昼食 13:50 ラバトを出発メクネスへ向う。

16:15 メクネス“MEKNES”ラバトの東138km標高約500mの丘陵地にある
古都。人口約40万人、カサブランカ、ラバト、マラケシュ、フェズに次ぐモロ
ッコ第5の都市。またアトラス山脈を越えてサハラへ向う出発点にもあたる。

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バブ・マンスール門を入ると左側にララ・アウダ広場“Place Lalla Aouda ”
ムーレイ・イスマイルの時代は屋外行事に使われた。現在は市内バス発
着所になっている。

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ヘディム広場“Place el Hedim”には露店が沢山出ている。

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ムーレイ・イスマイル廟“Tombeau de Moulay Ismail”モザイクの美しい廟、

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モロッコで非イスラム教徒が入場できる唯一の廟である。但しムーレイ・
イスマイルの墓のある部屋はイスラム教徒以外は入れない。

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靴を脱いで入った部屋(左側)には40人余りの婦人達が葬られている。

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モザイク、漆喰の彫刻などの装飾は素晴しくイスラム文化の粋を集めた
ものである。

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バブ・マンスール門“Bab Mansour”ムーレイ・イスマイルの時代に建設が
始まり息子のムーレイ・アブダスによって1732年に完成した。馬蹄形の入
口をもつ門は建築家マンスールの設計になる。

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ヘディム広場に面したメディナの市場の中には果実か、豆を量り売り。

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メクネスの街は夕陽が沈み暮れて行く。街の周辺はモロッコでも有数の
農業地帯で、小麦、葡萄、オリーヴがとれ、ワイン工場が幾つもあるとの
事である。ムーレイ・イスマイル“Moulay Ismail”が造った都メクネスは、
東部に住んでいたベルベル系のメクナッサ“Meknassa”族が10世紀に
この街を開いた事に由来しているとのこと。

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01/02(月)08:30 MEKNES ZAKI HOTEL を出発ヴォルビリス“Volubilis”
観光へと向う。09:15 メクネスの北約26kmにある古都ムーレイ・イドリス
“Moulay Idriss”標高1000mもある山地に近付くと、一段と高い丘の上に
白い家がぎっしりと詰まっている処が789年にモロッコ最初のイスラム王
朝イドリス朝が興ったところ聖地、人口15,000人。

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ヴォルビリス“Volubilis”はムーレイ・イドリスより北西へ約3km、広々とした
丘陵地帯にあるローマ時代の遺跡。

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この地は紀元前2世紀頃からモーリタニア王国の支配下にあったが前45年
から40年にかけてローマ軍の攻撃を受け王国は一時崩壊した。

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しかし直ぐにユバ2世が王国を再興した。

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彼はモーリタニア国の2つの県のうちの1つティンギターナの首都をヴォルビリ
スにおき、ローマ文化を採り入れた都を建設した。

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彼の後継者のプトレマイオス1世が40年に死ぬと、モーリタニア王国は崩壊し、
完全にローマの領属となった。

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当時は約2万人もの人が此処に住んでいたと言われ、建物の一部やモザイク
が残った。

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ローマ帝国は285年にはこの都から撤退放棄した。都はその後も暫く栄えてい
たが、イスラム教の流入とともに衰退した。1915年から発掘が開始され、発掘
された大理石やブロンズの像はラバトの考古学博物館に陳列されている。

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この遺跡で、オルフェウスの館“Maison d’ Orphee”(床に描かれているオル
フェウスのモザイク)フォーラム“Forum”(公共広場)カピトル“Capitol”(神殿)

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バシリカ“Basilica”(公会堂)タンジェ門“Parte de Tanger”フォーラムの周辺
の公共建築物、浴場、デクマヌス・マキシムス“Decumanus Maximus”(タンジェ
門からカラカラ帝の凱旋門までの大通り)など、建物の壁面や床に残るローマ
時代のモザイク、また石の道にはローマ時代の馬車の車輪で出来た窪みまで
あって、ローマ時代の生活がそのまま伝わる生き生きとした遺跡である。

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カラカラ帝の凱旋門“Caracara’s Arc de Triomphe”は紀元前217年のもの。

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モザイクの美しさに息を飲む。当時の人々の風俗や生活振りがよく判る。

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ふと見上げた樹上にコウノトリの巣があり、空の青さが美しいヴォルビリスでした。

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11:25 ヴォルビリスを去り、再びムーレイ・イドリスの街が見渡せる丘に車を
停めて眺める。

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午後ムーレイ・イドリスの街へ、人口15,000人。

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創始者ムーレイ・イドリス1世の廟が残っている。789年4代目カリフのアリと、
イスラム教の創始者ムハマンドの娘ファティマの間にできたハッサンの子孫
で、サラセン帝国のアッバース朝に追われて、ここにシーア派の王朝を開い
た。ムーレイ・イドリス廟の屋根は鮮やかな緑釉タイルで葺かれている。
非イスラム教徒は入れない。

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スーク(市場)を歩く。モロッコのパンは何処でも美味しい。
フェズに向う。デュ・フェズホテルに宿泊、2泊する。

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01/03(火)08:30 出発、終日フェズ市内観光をする。

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フェズ“FES”人口80万人、809年イドリス2世によってイドリス朝の都に定め
られて以来、現代まで幾つかの王朝を経ながらも宗教的、文化的な伝統を
崩さずに保ち続けている都である。9世紀にはスペインから来たアンダルシア
の人々や、チュニジアから逃げてきたアラブ人が多く集り、アンダルシア人
地区と、アラブ人のカラウイン地区に分れて発展したが、12世紀前後に一つ
に統一され塁壁で囲まれ、フェズ・エル・バリとなった。

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信仰、芸術、商業の中心地として大きな発展を遂げ、イスラム教徒がヨーロッ
パの科学技術を伝えた為、文化的にも充実し13世紀人口は20万人を超し、
1276年にフェズ・エル・バリの南にフェズ・ジャデイド(新しい町)を建設した。

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そして此処に王宮や行政官庁を設置、数多くのメデルサ(神学校)を建設した。
フェズ・エル・バリ“Fes el Bali”(旧市街)の周りは11世紀に造られた塁壁で
囲まれている。中には門から入る。

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メディナの中の道は細くて混み合っていて迷路のような道を驢馬が荷物を
載せて通る。

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ショアラ“Chouara”のタンネリー“Tanneries”皮革染色作業所は生臭いので
薄荷の葉で鼻を覆いながら入る。異様な匂いの立ち込める場所で上半身裸
の職人が賭殺されたばかりの牛や羊の皮を水洗いしたり、赤や黄色の液体
で染色して、周囲の壁に皮を貼りつけて乾かして居た。

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ふと美しいモザイクに出会ったりする。木工職人の店、絨毯を売る店、モロッコ
衣装カフタンを売る店、バブ―シュ(踵のない先の尖った靴)店、などが並ぶ。

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メデルサ・アタリン“Medersa Attarine”1323年~1325年建造の神学校、

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タイルのモザイクと木の彫刻が素晴らしい。中庭に大理石の噴水がある。

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メデルサ・ブーイナニア“Medersa Bou Inania”元神学校で現礼拝堂、
1350年~1355年建造、スペインムーア建築の代表的なもの、タイル
のモザイクと漆喰やヒマラヤ杉に彫られた模様で飾られ、彫刻の細か
さと華麗さは素晴らしい。

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スーク・アタリン“Souk Attarine”香料市場、驢馬の多い路地で水を汲む人々
を眺めながらメディナから出る。

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塁壁で囲まれたフェズの観光を終る。デュ・フェズホテル宿泊。

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01/04 (水)08:00 フェズホテル出発、フェズの南61km標高1650mイフラン
“IFRANE”09:10着スイス人が建てた家・スキーリゾートがある。中アトラス山
脈の中腹にある町で、人口6千人、この町から17kmのトレッテン峠(1934m)
を越えた所に代表的なスキー場、ミシュリフェン“MISCHLIFFEN”がある。
イフランは寒く霜柱が立っていた。フェズよりマラケシュへ向う山道の景色は、
中アトラス山脈が続き南モロッコへと進む。見晴らしの良い道をバスは走る。

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09:38 アザロ“AZROU”の町へ入る。アザロとは岩の意味である。アザロ
を過ぎて11:00ケニフラ“KHENIFRA”へ、そしてベニメラル“BENIMELLAL”
へとバスの旅は続く。

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ここは中アトラス山脈の中腹そして麓を走る。ウム・エル・ルビア川これは一番長い川。

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17:35 マラケシュ“MARRAKECH”到着。HOTEL LE MARRAKECH に宿泊、2泊する。
「民族舞踊とディナーを楽しむモロッコの夕べ」ベルベル人の騎馬兵が出迎える。

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テントの中にテーブル席がありモロッコ料理が出る。ハリーラ、クスクス、
タジン、カバブ、ケフタ等、テーブルの間を縫って各テントを廻り民族舞踊、

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音楽のサービスが次々と訪れる。食事が終りフィナーレは騎馬隊が鉄砲
を撃ちながら疾走し、勇壮なファンタジアで閉幕。

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01/05(木)07:00出発 マラケシュから南東へワルザザートへ続く道が
カスバ街道である。 09:00 TADDER 休憩、09:50 テスト峠“Tizi n Test”
マラケシュとマラケシュ南西のタルーダントの間にある標高2,092mの峠、
高アトラス山脈を一望できる。緑が次第に少なくなりカスバの国である。

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ティスカ峠、標高2,260mここを越えるとカスバ(城)が見える。

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高アトラスの麓のワルザザートを経て、ダデス谷、トドラ谷、エルラシディア
に至る道は通称カスバ街道と呼ばれ、丘の上や椰子の林の中にひときわ
目立つ大小のカスバが目を引き、異国へ来たと感じさせてくれる。

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ワルザザート“Ouarzazote”はカスバ、黒と黄色の絨毯、簡素な壺などで知
られているが、1,928年に町が出来て以来、サハラへの前進基地として外人
部隊が駐屯した処で、今ではモロッコ軍の駐屯地になっている。

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トウリルト“Tourirt”にはマラケシュの司令官グラウイ“Glaoui”(1,875~
1,956)が住んだカスバがあり、博物館として内部が公開されている。

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グラウイ・カスバの2階の部屋の窓から美しいスルスブルー湖が見える。

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昼食はエトワール・ル・スフ、レストランで食事、タジンの蓋を取る前に撮影。

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今日は終日バスの旅です。峠の道路はガードレールも無い、ハイアトラス
を越えて、右に左に山が続き、雪や氷の残った山肌も見える。マラケシュ
からワルザザート迄320km片道5時間の距離。19:40 マラケシュに帰着。

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20:30“DAR ES SALAM”にてモロッコ料理の食事はモロッコ美人
のベリーダンスのショーがありました。マラケシュには2泊目です。

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01/06(金)08:30出発マラケシュ市内観光です。
ジャーマ・クトウビア“JAMA KUTOBIA”モスクにある塔は
一辺約12.8mの正方形で、ミナレット部分の高さは約60m、
上部に丸ドームの頂屋があり、更に金属製の軸があり総高
は約77m、ムーア様式の傑作に数えられる。

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メナラ“MENARA”庭園(明るい家と言う意味)貯水池、もとは軍隊の水泳練習
の為の大プール、大アトラス山脈より地下パイプで水を引いて来ている、中央
にあるパビリオンは1,850年にアラウイ朝のアブデルラーマン建立、メディナの
城壁の西外にある広大な面積1,200m×800m、12世紀のアルモハッド朝時
代に造園された。

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マラケシュ旧市街は、新市街に対し塁壁で囲まれた地域を一般にメディナと
呼んでいるが、スーク“SOUK”(市場)を指す人もいる。メディナの南ブロック、
バブ・アグノウ門を入り、突き当りのマンスールモスク“MANSOUR MOSQUEE”
の脇にある廟は、サード朝(1,554~1,659年)の5人のスルタンを除いた全ての
スルタンが葬られているサード朝の墳墓群がある。

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どの部屋も木や漆喰に施された彫刻が素晴らしく、
スペイン・ムーア様式建築の傑作と言われている。

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廟の外側は薄いピンク色に塗られている。この廟は16世紀に建てられたが
アラウィー朝のムーレイ・イスマイルによって(1,672~1,727年在住)周りを壁
で囲まれてしまった。そして1,917年に漸くその壁が取り壊され、この廟の
存在が知れた。

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オレンジ、レモン、ランタナ、ミニヨンの木があった。部屋は
3つある、始めはミヒラブ(メッカの方向を示す窪み)のある
小礼拝堂、次は最も装飾の多い部屋、イタリアから輸入し
た12本の大理石の柱が木や漆喰で出来たアーチを支えて
いる。ここにサード朝のアーメド・エル・マンスールと彼の息
子、それに彼の孫が埋葬されている。3番目はエルマンス
ールの子供達と母堂ララ・メッサウダの墓が安置され落着
いた感じの部屋である。

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メディナの北ブロック、ジェマ・エル・フナ広場“PLACE DJEMMA EL FNA”
メディナの中心にあたる広場。屋台の物売り、様々なボロで身を飾り立てた
水売り、蛇使い、占い師、猿回し、民族舞踊師、楽師、アクロバットを演ずる
軽業師、等々が芸を披露している。毎日がお祭みたいな広場。
また「死者達の広場」と命名されたように、アルモラビド朝、アルモハッド朝
の王たちが罪人を処刑し、その首を杭に曝した場所だと言われている。
この広場に終日浸って居たいと思った。

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広場の北のラーバ・ケディマ通り、バブ・フテウ門をくぐりスーク・スマリン通り
を通ってスーク“SOUK”(市場)の中へと進む。人々が肩をぶつけ合う様に行
き交う。荷を積んだ驢馬も通る。

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木彫品、銅細工、カフタン、ジェラバ、スリッパ、刺繍の店等がある。

13:45 LE MARRAKECH HOTEL昼食後プールサイドにて一休みして出発、
カサブランカへ250kmの旅、15:40 サラ・ベン・ア・ブーにて休憩、
カフェ・オ・レは美味しかった。16:15 セタット“SETTAT”人口7万人、農業
の中心地で農器具製造業が多い。小麦はモロッコの12%を生産、1,912年
にフランス人が来て新しい町を造ったとのこと。

17:30 カサブランカ着ホテル・サフィール“HOTEL SAFIR”に到着、宿泊。

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モロッコ最後の夜、ハイアット・リージエンシー・ホテルの“BAR Casablanca”に行く。
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01/07(土)モロッコを去る日、カサブランカ・ムハマンド5世空港にて。

10:15発イベリア航空IB-832便マドリッド着12:45 (1時間30分・時差+1時間)
昼食、“HOTEL WELLINGTON”チェックイン。マドリッドのフリータイムを楽しむ。

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首都の中心にあるスペイン広場、その広場の中央に位置
するセルバンテスの記念碑、そして広場の周囲には2つの
摩天楼の並はずれた大建築群、エディフィシオ・エスパーニア
とトーレ・デ・マドリッドと呼ばれている26階と34階建で、広大
な広場を小さく見せる。

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パレ・ロイヤル(王の御殿)王室宮殿の側をバスは通り過ぎた。

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プラド美術館を時間に追われ駆け足で観る。そしてピカソ館へと急ぐ。

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ウエリントン・ホテルの3軒隣でフラメンコのショーがあるとのことで、思いが
けぬマドリッドの夜を、情熱的な踊りとリズムに浸る幸せを得ることが出来た。

01/08(日)マドリッド発13:55 イベリア航空IB-893便(北回り10時間)
アンカレッジ着01/09 (月)14:20(アンカレッジ時間)00:20トランジット1時間
アンカレッジ発15:37 成田着16:55(日本時間)22:55(7時間10分・時差6時間)
成田発18:55 JL-385便 福岡着 20:55

参加者23名は、関東15名、北海道2名、名古屋3名、宝塚1名、福岡1名、下関1名
添乗員は東京から参加でした。 成田で解散、乗継となりました。

在職中、年末休暇を延長しての旅行でした。エジプトに次いで2回目のアフリカ旅行
でしたが、世界には未知の国が多くあることを知る程に、海外旅行に思いを馳せる
のでした。

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