『 パティオ ローズ 7 』

            『  パ テ ィ オ ロ ― ズ 7 』
                                 2014/10/29

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パティオローズの頒布会、全6回のうち今月は5回目が届きました。10月は
「コーヒーオベーション」というコーヒーをイメージさせるような、茶色味がかっ
た赤という珍しい色です。初夏は朱色に近くなり、秋は茶色に近くなります。
ころんとしたカップのような形です。

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先に届いた5鉢は開花時期が終り、届いたばかりのコーヒー色の花がバル
コニーを彩っています。いつの間にか涼しくなりました。

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最後に届く11月の花は「ホワイトピーチオベーション」という種類の予定です。
春から始まり秋の終りまで、毎月変った花を楽しませてもらいました。
可愛いミニバラの花に感謝を……



『 トルコ一周とカッパドキアの旅 』

        『 トルコ一周とカッパドキアの旅 』
                              2014/10/26

東西文明の接点・小アジアと異色の大自然は、私を惹きつけて止まないのです。
機会があればと思っていたので、成田発着のツアーでしたが、混雑する時期では
ないので申し込みました。

1991年11月07日出発11月19日帰着、13日間の旅行でした。
「トルコ」の歴史は古く次々と興亡が繰り返され、ヨーロッパとアジアの接点、文明
の十字路として今に残る夥しい史跡を見たいという思いと、イスタンブールが旅情
を誘うのです。珍しいカッパドキアの自然の造形も見られるとの事なので楽しみに
して参加しました。
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11/07(木) 11:00成田出発 TK-593 トルコ航空・モスクワ経由(1時間給油・13時間)
18:10 イスタンブール 到着 (時差-7時間)着後 HOTEL PERA PALAS 泊
11/08(金)10:00イスタンブール発 TK-116 アンカラ着 11:05
アンカラ“ANKARA”トルコ共和国の首都。人口350万人、小学校は7才より5年間、
中学校は3年間、高等学校は3年間、大学4年間、専門学校4年間があり、大学入試は
4月と6月に行われる。公立の学校は授業料不要、午前と午後の2部制。

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14:00~15:30 「アタチュルク廟」“ムスタファ・ケマル・パシャ”1881~1938
「正しい独裁者」史上珍しい指導者。今も国民の崇敬をあつめ「アタチュルク」
(トルコの父)の称号を国民議会から、その功績により献呈された。1923年に
トルコ共和国を樹立して、その初代大統領に選ばれた。首都をアンカラに移した
彼は、政治的、文化的に思い切った大改革を行った。57歳で1938年11月10日
に現職大統領のままイスタンブールでその劇的な生涯を終えた。
トルコ全土は深い悲しみに包まれ、国民は仕事を止めその冥福を祈った。

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アンカラ郊外の丘に聳え立つ霊廟。1944年に建築が始まり1953年に完成、
入口から広場まで260mの参道には、新ヒッタイト風の石のライオンが24頭
並んでいてバラの花が咲き誇る。

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トルコ人の建築家たちの連合設計により、トルコ各地から集められた材料に
よって建設されたこの壮大な霊廟には、今なお参詣者が絶えず、大理石の
石棺の前で偉大な指導者への追憶の念を新たにしている。

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「列柱式の廟」アタチュルクの棺のあるホールの壁は赤い大理石が貼られ、
天井は金のモザイクでトルコ風に装飾されている。この廟は陸、海、空三軍
の兵士と、トルコ国民によって守られ、静かに眠っている。兵士の行進は整
然として衛兵交代も規律正しく行われる。
廟の正面右側には共和国10周年記念日のアタチュルクの演説の一部、左
側には国の将来を担う青年へのメッセージが記されている。回廊内には数々
のアタチュルクの愛用品が展示され、夫人の美しい大理石の墓廟もある。

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広場をはさんで反対側には、第2代大統領でアタチュルクの友人でもあった
イスメット・イノニュ(1884~1974)の廟がある。霊廟のある丘から美しいアン
カラの町を見渡すことができる。


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15:45~17:00 考古学博物館「アナトリア文明博物館」見学。 アンカラ城下
にある通称「ヒッタイト博物館」キャラバンサライ(隊商宿)を改造した建物で、
アナトリアの歴史と美術を知る為に重要な意義のある展示品で世界的に知ら
れる。特にヒッタイトに関した豊富なコレクションを誇る。中央ホールには城壁
など石に彫られたレリーフ等が並ぶ。周りの各部屋は年代順に見学できるよ
う工夫されている。スタンダードと呼ばれる青銅器時代の牡鹿の造形物はア
ンカラのシンボルでもある。内部は撮影禁止。

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11/09(土)08:00AMアンカラ出発、専用バスでカッパドキアへ向う。途中
「ハットウサスの聖地ヤズルカヤ」“YAZILIKAYA”遺跡に到着。屋外神殿
の岸壁にレリーフが残っている。天と地を結び、そして神と王を結ぶレリー
フ群、紀元前1,300年~2,000年代後半のもの。一枚岩に浮彫にされた
神々や諸王の図が興味深い。ヒッタイト帝国時代の芸術はアナトリア様式
を忠実に守っていることが判る。その遺物は支配力の及んだ近東の広い
地域に亘って発見された。各地からの出土品や文書によって、この時代に
最高のものが造りだされた事が判っている。

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小広場にあるヒッタイトの「神々の行列」と呼ばれるレリーフには、とんがり
帽子に半ズボン姿の神々が並び、その奥側にはテシュ―ブ神とその妻
へパーツが描かれている。

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小広場と反対側の切り立った岩肌に残る「神に祝福される王」の像は圧巻だ。
このレリーフは浅く凹型になった枠内に浮彫になっている「シャルマ神に抱かれ
るトウダリア4世」B.C.2,000年代後半のものだ。YAZILIKAYAの聖地遺跡を後に
山を下りる。

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城壁都市ハットウサス“HATTUSAS”ボアズカレ村に今尚残る荒野の城跡。
平坦な道を東へ200kmの所にヒッタイト時代の首都ハットウサスがある。幾つ
もの丘陵と広野に散在する遺跡以外は何もなく、のどかな風景が眼下に広がる。

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B.C.1,200~1,600年、ライオンの門、皇帝の門、スフインクス、大神殿の基場、
食料用の壺等の遺跡物は修復されたものが多い。現在発掘と修復がドイツの
学者とアンカラ大学の共同作業で行われている。オリジナルはアンカラの考古
学博物館などに展示されている。衰退してしまった今も僅か残されたレリーフ
が迎えてくれる。いまなお残る荒野の城壁都市の跡、広野に散在する発掘さ
れた神殿6か所とのこと。かつての無敵王国の名残は“つわものどもが夢の跡”
の感あり。

13:40 Restaurant の庭にバスを停める。アヒルの一家が庭に迷いこんでいた。
18:00 カッパドキア“CAPPADOCIA”到着、MUSTAFA HOTELにチェックイン。
11/10 08:30 「ギョレメ地区」ウルギュップの近郊にある町の名、以前はカッパ
ドキアの名で呼ばれていたこの地域全体のことである。

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ギョレメ地区のシンボル「妖精煙突」はウルギュップ西側にある。後方にエル
ジャス山を望む。何とも形容しがたい奇妙な風景が現れ、不思議な感動を覚える。
ギョレメ地区は夫々の文化に属する、芸術物の宝庫とも言える。活動的な田園
生活は地区独特の雰囲気を醸し出している。日々の暮らしそのものが自然と歴史、
そして芸術と見事に調和している。かつてこの雄大な風景は「月の表面」に例えら
れてきた。幾つかの火山の噴火によって吐き出された金属物質の多様性で、辺り
を覆う凝灰岩の地盤は、場所によって違った色彩を示している。凝灰岩はその表
面が硬い反面容易に掘ることが出来、肥料を与え農業に適した土壌にもなる。
谷の急斜面や、ピラミッド型、チムニー型の岩峰は、何年にもわたって異った意図
で掘られ続け、穴居人の住処もしくは妖精の煙突とよばれる岩峰によって、辺り一
帯は神秘的な空気に包まれる。

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要塞風の大きな岩峰も火山からの噴出物が硬化し、蓄積したものと考えられる。
周辺の火山の長期にわたる噴火で撒き散らされた塵、灰、溶岩等が蓄積し年月
と共に雨、風、温度の変化によって絶え間なく浸食され、現在のような様々な形
の岩層になったと言える。

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浸食に拍車をかけた一因には地震がある。速度は落ちたものの現在も尚
浸食は続いている。「ウチヒサール」はギョレメ谷が見渡せる山裾に位置し、
その下方には「クズルルマクの谷」が横たわる。

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広大な灰色の谷の斜面には、小さな窓をつけた鳩の巣箱群がある。
岩に彫られた鳩の家に堆積した鳩の糞は定期的に集められる。

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カッパドキアの風景の美しさ、不思議さについては太古の昔50km南にある
アルジェス山(3,916m)が大噴火して、このあたり一帯に火山灰や溶岩など
が堆積した。風、雨、雪の作用で浸食され、長い間にこの世のものとも思わ
れぬ風景が形成された。円錐形の岩があちこちに立つ。浸食過程において
硬い岩が頂上に残って、帽子をかぶっているように見えるものもある。

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カッパドキアの面白さは風景と共に歴史についても言える。岸壁や火山錐
に教会や住宅が造られている。ここには古くから熱心なキリスト教徒が住み
ついていたが、7~13世紀にアラブ人の侵略から逃れて、沢山の人々が住
みつくようになった。

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カッパドキアにキリスト教をもたらしたのは聖パウロである。ギョレメ谷の近郊
には「ギョレメ教会と修道院」を含む博物館がある。“GOREME”4世紀カッパ
ドキアに沢山のキリスト教徒が住みつくようになると、カイセリの人、聖バジル
はギョレメの谷に修道院を造ってその教えの普及につとめた。

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修道士達は自分たちの力で岩を掘っては住居や教会を造り、内部をフレスコ
画で飾った。かつてのギョレメは、宗教を中心とした生活共同体だった。

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ゼルヴェ“ZELVE” チャブシン-アバノス幹線路はゼルヴェへと曲る。ゼル
ヴェは切り立った岩山の間に入り込んだ細い峡谷である。かつて人々はこ
こに隠れ住み、教会や修道院を中心に宗教共同体生活をしていたらしい。
かつて谷の間にあったゼルヴェ村は浸食の前兆が原因で1,950年に近郊
の平野に移住した。

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谷の斜面のあちこちには浸食や崩れによる穴が見られる。まるで道行く旅行
者達に敬礼をしているかのように妖精煙突が立つ。最も珍しい妖精煙突の幾
つかは、この地で見る事ができる。煙突状の岩層が二組や三組ごとに合わさ
った珍奇な妖精煙突が見られる。

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パシャバウ地方の妖精煙突を横目にゼルヴェまで抜ける道路。このあたり
では浸食作用を目の当たりにすることができる。

13:10 アヴァノス“AVANOS”古代はヴァニサと呼ばれていた町(トルコで一番
長い川・クズルルマク川の岸辺)赤土で作る陶器の町へ。

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“GOREME ACIK MUZESI”ギョレメ屋外博物館。キリスト教徒が岩をくり抜いて
造った住居や教会の跡が集中している博物館地区を一周する。古い修道院が
右に左に見え始める。教会は岩層の本来の形を生かして彫られた為に、その
入口やアプスは様々な方向を向いている。支柱やアプス、屋根、ドームは全て
岩の中に彫り込まれたものである。最初の教会は、大小の基のある内廊を抜け
た所の、無名教会であり、その壁はフレスコ画で装飾されている。

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カランルク教会“KARANLIK KILISE”(暗闇の教会)と修道院、壁が崩れ落ちた為
に内部が露出している。教会には唯一左の小窓がある。部屋の複合で造られた教
会、下方階はダイニング、上層階には寄宿舎があるこの建物の壁は崩れ落ちている。

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狭い入口を通り数段上ると「カランルク教会」の内廊にでる。出口に近いベンチ
に3人連れの女性。
→ 右へ行けば ウルギュップ & カイセリ。 
← 左へ行けば ゼルヴェ & アヴァノス & ネブシェヒール
「ここは ギョレメ博物館」

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11/11 06:20AM 寒い朝の空気の中を散歩。岩の住居に暮らす人々を訪ねたが、
時間が無く残念だった。遠くに見える山はグランドキャニオンに似ているらしい?
08:00AM CAPPADOCIA MUSUTAFA HOTEL(2泊)を出発する。

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09:20AM AKSARAY アクサライで休憩。靴磨きの2人、ガイドさん靴を磨いている。

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私も磨く。どんな色でもOK 、3色ミックスしました。 代金は?「キモチでよろしい」
では3,000トルコリラにしました。(日本¥90位)


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“KERVAN SARAY”SULTAN HANI 「スルタンハーヌのキャラバンサライ」
13世紀のスルタン王の為に造って捧げられた隊商宿、シルクロードを往来する商人
達の隊商宿、キャラバンサライは各地に跡を留めている。改造されてバザール等に
なっている所もあるし、寂れて残っているものもある。

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立派な門、高い壁に囲まれた中庭のある建物は、在りし日の隊商の姿を彷彿させる。
東から来た隊商と西から東へ旅する対象達が同宿して語り合ったのであろうか?守衛
室が門の側にあり、ここでお金を払ったのだろうか。厨房もある。風呂のような部屋もある。

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宿舎は勿論動物たち(らくだ、馬)を休ませる厩舎もある。ひんやりして、うす
暗く静かな部屋はただ広く、足音を響かせる。
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11:50AM コンヤ“KONYA”(古代の名をイコニウム)セルジュク時代の古都、
人口約50万人の地方都市。火山の麓の草原地帯のオアシスで、穀物、芥子、
果物など肥沃な農業地帯が広がっている。トルコの特異な文化が栄えた都、
セルジュク・トルコの首都としてイスラム遺産を今に残す町、12~13世紀東方
よりイスラム関係の科学者、芸術家、建築関係の人達が集められイスラム世
界の中心地として発展し、神学校やモスクが多く建てられた。この時代のもの
が遺跡として残っている。

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メブラーナの霊廟“MEVLANA MUZESI”緑青色のタイルで覆われたとんがり帽子
の屋根のある建物は旧メブラーナの霊廟だった。メブラーナ教団は1,925年にアタ
チュルクの命令で解散させられたが、今も年1回12月17日に「神との一体感で無
我の境地を得ると言う“踊る宗教”の祭」を見る事ができる。内部には各時代の工
芸品や衣装、銅器、本などが展示されている。

18:00 エルディール湖畔の“EGRIDIR HOTEL”に泊る。夜はすっかり冷えて寒い。

11/12 07:30AM 出発する。パムカレ経由イズミールへ向ってED24幹線道路を西へ進む。
08:45AM DINALと言う町に着く。人口3万人位、休憩、ヨーグルトに蜂蜜をたっぷり
入れて食べる、とても美味しい、アップルティも飲む。

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11:00AM パムカレ“PAMUKKALE”デニズリの北19kmに2,600m×300mの広大な、
石灰質の台地があり、そこに古代都市ヒエラポリスがあった。紀元前3世紀頃この
あたり一帯はシリア王に支配されていたが紀元前190年のマグネシアの戦の後、
ベルガモン王国に属するようになる。エウメネス二世の時町が造られた。
ヒエラポリスと言う名はベルガモンの伝説的始祖であるテレフオスの妻の名ヒエラ
に由来する。現在の形の町となったのは皇帝ネロの治世、紀元60年の大地震の
後である。ローマになってから町は繁栄した。キリスト教が急速に広がり使途の一人
フィリポはここで殉教の一生を終えた。遺跡はローマ時代のものである。

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ネクロポリス(墓地)北のはずれに広大なネクロポリスが残っている。1,200の墓
があり古代世界で最も保存の良いネクロポリスと言うことが出来る。

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ここには2種類の墓が見られる。土台に乗せた石棺タイプと、ヘレニズム時代
の古墳タイプである。

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後者の場合墓室のある円錐形の塚の周りに壁を巡らせてある。門や入口が
ついているものもある。1,200の墓の中300位迄発掘修復されつつある。
北の浴場(温泉)ドミティウス門の北にある2世紀の浴場で5世紀には教会に
変えられた。内部は大理石張りであった。

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ローマ門があり、北門(ドミティウス門)そしてビザンチン門を通り、アルカディアン
通りが1,200m続く。ローマ時代のアポロ神殿跡3世紀、20×15mのこの神殿は
ユニークな建物。

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アルカディアン通りと北門、北門と南門を結ぶ1,200mの道路、北門は85年ドミ
ティウスに捧げたもので、三つのアーチと円形の塔が今も残っている。南門は
かなり破壊されてしまっている。アポロ神殿の下南側に泉の湧き出る洞窟があり、
今も有毒ガスが噴き出している。ここは冥土の神プルトンの神域として有名だった

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ヒエラポリスは後に司教館がおかれたがセルジュクトルコの侵入以来人口も
減り町は寂れた。町の設計は多分ヒポダモスの碁盤の目のような都市計画
によるものと考えられるが、他にヘレニズム風のものは見られない。
遺跡はローマ時代のものである。

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「劇場」2世紀。保存状態が非常に良いローマ劇場で、正面は100mの長さがある。

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観客席は50段になっている。ロイヤルボックスは中央に位置し、オーケストラ
は1.8mの壁に囲まれている。

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ステージは高さ4mで三層の円柱で飾られていたらしい。その八角形の土台
のレリーフには「ディオニソスの誕生」「馬車に乗るディオニソス」「女性の膝に
座るディオニソス」などを今も見る事ができる。

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PAMUKKALE 温泉によって出来た台地は昔温浴場だった。炭酸塩とカルシウム
を豊富に含んだ湯が、台地から100m下の平地へと流れ落ちる途中で冷えて、
炭酸カルシウムが残る。

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そして水の流れのように、階段状の石灰棚ができ、その上にはお湯が溜るように
なった。ここをトルコ語で“PAMUKKALE”パムカレ(綿の城砦の意)と呼ぶ。
温泉に混じる石灰が結晶し、何万年もかかってこのような奇景をつくりあげた。

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歳月をかけて大自然が創造した“真綿の城”である。温泉の湧き出ずる、
古代の保養地であった。棚にたまった温泉で、水遊びする人たち、底に
はまだ固まらない泥状の石灰が沈んでいる。

18:00 “IZMIR”イズミール到着。ETAP IZMIR HOTEL 泊。

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11/13 06:20AM 海の見えるホテルを出て、朝の散歩に行く。ホテルの
向いは郵便局、その向うは船着場で出勤の人達が集る。海はエーゲ海。
町の人々は仕事を始めている。

08:30AM ホテル出発。バスはエフェソスへ向う。終日エフェソスの観光。

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10:00AM “聖母マリアの家”エフェソスから7km アラダアの山中で発見された。
431年に第3回宗教会議がエフェソスで開かれた。そして聖母マリアは聖ヨハネ
に伴われてエフェソスへ来てA.D.37~48年ここに暮し、ここで亡くなったという説
が立てられた。クレメンス・ブレンターノが1,852年に著した「聖母マリアの生涯」
の中で12年間病の床にあり、マリアの最後の地について詳しく述べた話が紹介
され、世の人々を驚かせた。そして1,891年にアラダアの山中で礼拝堂が発見された。

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建物はビザンチン時代のものだったが、土台の一部は1世紀のものとされている。
1,967年にはローマ法王パウロ六世も、ここを訪れ祈りを捧げた。今も多くのキリス
ト教徒やイスラム教徒が訪れている。

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10:53AM “EFES”エフェス到着。イズミールの南76km にあるEPHESUSの古代
遺跡。ヘレニズム時代からローマ時代にかけて栄えた海港都市で、古代名は
エフェソス。紀元前11世紀に建てられたイオニア人の都市国家である。アレキサ
ンダー大王やローマ帝国に征服されながら交易港として栄え、現在見られるア
ヤソルクの丘にある遺跡は規模が壮大で、訪れる人を驚かせる。

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ローマの支配下に入り、アジア州の都として繁栄し、小アジア最大の交易都市
となった。一時は人口25万人であった。現在残っている遺跡の殆どはこの時代
のものである。又この当時キリスト教が広まった。聖ヨハネは多分聖母マリアを
伴ってここに来た。彼はここで福音書を書き、ここで亡くなった。後にこの墓の上
にコスティニアン大帝が聖ヨハネ聖堂を建てた。

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マーケットバシリカ(聖堂)1世紀アウグストウス帝の時代、三つの身廊を持つ
160mの長い建物。今日オデオンの外壁に展示されている牛の頭のようなもの
は、中央の身廊のイオニア式柱頭である。

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“ヴァリウスの浴場”聖堂の北側に並ぶ建物の中で一番東にあり、発掘の
途中レンガの丸天井と石灰岩の壁がきれいに残っている。冷浴室、微温
浴室、高温浴室、が並ぶ伝統的ローマ浴場の一つ、5世紀のもの。

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“オデオン”音楽堂。エフェソスの資産家ヴェディウス・アントニウスが妻の為
に造った。22列の席が並び1,500人収容できた。雨水の為の設備が無いこ
とから、おそらく当時は屋根があったものと思われる。コンサートや詩の会、
様々な授賞式など、ここで行われた。

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“プリタニオン”市役所。ホールには黒い石の祭壇があり、永遠の火が燃えて
おり、クレテスと呼ばれた神官たちがそれを守っていた。4本のコリント式の柱
の中3本が今も残っている。このホールから二体のアルテミスの神像が発見
され、現在エフェソス博物館に展示されている。

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“クレテス通り”公営市場(上のアゴラ)からケルスス図書館までの通りを言う。
プリタニオンで永遠の火を守る神官(クレテス)に因んでこの名がついている。
大理石を敷きつめた美しい列柱道路がケルスス図書館へと続く。度重なる大
地震で破壊され修復された。

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“ドミティウス広場”の北側に小さな凱旋門のような形で聳えているのが見える。

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“メミウスの碑”カイウスとスラの像が見える。

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“ドミティアヌス神殿”50×100mの台地に建立、正面に高さ5mの巨大な像を建てた。

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“ヘルメスの像のレリーフ”右手で牡羊の角をつかみ左手にはシンボルの杖を持つ。

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“ニケのレリーフ”花輪を手に翔ぶ、、この三角形の石はヘラクレス門の
一部をなしていた。

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“ヘラクレスの門”2階建で下はアーチ型、その上に6本の円柱が並んでいた。
台座にニケのレリーフがあった。2世紀頃の作で4世紀に他の場所から移したらしい。

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“ドミティウス神殿”紀元前1世紀、24×34mの台石の上には8×13本の柱
が建ち、東側に祭壇があり、両側はホールになっていた。地下から皇帝ドミ
ティウスの巨大な像の一部が発掘され、頭部と腕はイズミールの考古学博
物館に展示。これは神殿のテラスに立っていたもの。

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“トラヤヌスの泉”1世紀末トラヤヌス帝に捧げられた泉、かつては二層で
12mの高さのあったファサードは数多くの大理石の像で飾られていた。トラヤ
ヌスの像は中央の壁に配置され、その足下から水が流れるようになっていた。

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“娼婦の館”中庭を囲んで小部屋が沢山並んでいる。美しい床モザイクが残っている。

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クレテス通りには住宅や商店が歩廊に面して並んでいた。円柱の間に残る
台座には、市の功労者たちの像が並んでいた。丘の上の住宅への道。
ハドリアヌス神殿の向い側に並ぶ家々は、丘の上の家とか、お金持の家と
呼ばれたように、富裕な上流階級の市民が住んでいた。どの家も中庭を備
え、全市に水道があった。

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“ハドリアヌス神殿”7.2m×5mの小さな神殿はクレテス通りで最も美しい
ものと言えよう。130年に出来たものだが4世紀に再建された。4本のコリ
ント式の柱で支えられた破風にはエフェソスの守り神である、女神ティケの
像が彫られている。後方に見える正面ホールの横木も美しく装飾され、半
円形のパネルの中央にはメドゥサの像がある。

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“トイレット”ハドリアヌス神殿の左隣に並んでいる。中央には泉があり、大理
石のベンチ式のトイレが並ぶ下の溝には、いつもきれいな水が流れて居た。

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“ケルスス図書館”135年ローマの元老院議員で、アジア州の提督でもあった
ケルススを記念して息子が墓を含む図書館を建てた。大理石の棺はアーチの
下の地下室に安置される。

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“アルカディアン通り”400年に皇帝アルカディアンの栄誉をたたえて造ら
れた500m巾11m大理石張り、夜は街灯が輝いていたという。両側にモ
ザイク床の5m巾の歩道があり、商店街だった。

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“大劇場”クラウディス帝(A.D.41~54)時代に建設が始まりトラヤヌス帝
(A.D.98~117)の時に完成。グレコローマンスタイルの美しい劇場。
直径150m高さ18m巾40m音響効果は素晴らしい。

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“大理石通り”ケルスス図書館とコレッソスの門をつなぐエフェソスのメイン
ストリート。ここで一世紀の立派な下水道設備が見られる。大理石の舗装
がなされ、この名ができたのは5世紀である。路上の一画に女性の顔とハ
ート、足を彫った娼婦の館への道標がある。

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“下のアゴラ”一辺が110m二重柱列式の四角形の市場で、大理石通りと
港大通りの間にある。紀元前3世紀に出来た。金銀細工の店や工房があり、
奴隷の取引も行われた。

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13:08 KALEHAN OTEL RESTAURANT 昼食場所に着く。魚料理の昼食。

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14:45 エフェソス博物館 1,929年に出土品を納める倉庫として造られ、現在は
エフェソスで発見された25,000点を所蔵し、毎年新しい出土品が加わる。
館内撮影禁止。

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15:38 アルテミス神殿跡。トルコ各地から発見された様々なアルテミス
像を見ると、この女神に対する信仰は、数千年の歴史をもって発展して
きたことが判る。

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15:48 “聖ヨハネ教会”キリストの弟子たちがエルサレムを追放され、ヨハネ
は聖母マリアを伴いエフェソスへ来た。パウロはローマで処刑された。
ヨハネがエフェソスの教会の責任者となって布教に努めたが、死後アヤソル
クの丘の南側に葬られ、後その墓の上に聖堂が建てられた。6世紀皇帝ユ
スティニアンは聖堂を教会に変えた。その遺構が今も残っている。7世紀アラ
ブの侵攻が激しくなると、教会の周囲にも防壁が造られ城砦の中に取り込ま
れた。14世紀の始めこの教会はモスクとして使われていた。「遺跡現在修復中」

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16:13~16:32 OBA絨毯工場見学。パオがあり、糸を染める竈と大鍋のある小屋がある。

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少女たちが絨毯を織って居た。

18:00 イズミール市内・県庁舎前でバスを下り、バザールを見ながら
歩いてホテルへ帰る。

11/14 07:30AM イズミール・エタップホテル出発、エーゲ海岸をベルガモン
へ、国道から東へカイコス平野に入ると程なく小高い丘に築かれたヘレニズ
ム時代の都市遺跡がある。

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“ペルガモン”紀元前197年から159年頃ペルガモン王国が黄金時代を
迎えた。ペルガモンの遺跡は上中下と3つの市にわかれ、上市は王城
が中心で、ゼウス祭壇、アテナ神殿、トラヤヌス帝神殿、カラカラ帝神殿、
野外大劇場、図書館などがある。

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アクロポリス(高い所にある都市)上の都市を見学する。4つのテラスと城壁。

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一番上はトライアン神殿、王と王の家族、兵隊が住んでいた。山上に水槽がある。
二番目はアテナ神殿、図書館(20万冊の蔵書)紀元前4世紀の最古の神殿、土台だけ。

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三番目はカラカラ帝神殿、劇場36m87段80列、1万人収容、正面テラス16×246mの北。

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四番目はゼウス祭壇、B.C.180~160勝利の記念、69×77mの敷地に
36.5×34.2m広さをもつ祭壇の三方の腰壁にレリーフで飾られている。
祭壇跡に3本の木が茂っている。

城壁、紀元前4世紀の古い部分は一部残り、殆ど紀元前2世紀のものである。
古代劇場の中でも最も急斜面をもつ、地形の制約で充分な半円形に広がる
事が出来なかったので、並はずれた高さをもつ劇場が出来た。見事な曲線を
描き特に印象的な大劇場。

上の市から坂道を下りてくると中市、当時の住宅地や商店街だった。
下市は2本の柱が聳えるデメテルの神殿跡やジムナジウム(体育館)がある。
上、中、下3段地にわたる古代ペルガモンの町はアクロポリスとも呼ばれる。
昔は石畳の道を下市の城門から次第に坂を登り上市に達した。

アスクレピオン(サナトリウム)現在の町の西北に残る医学の神アスクレ
ピオスに捧げられたこの聖域の起源は紀元前4世紀。アスクレピオンの
最盛期は有名な治療、保養の場となり6世紀迄続いた。暗示療法、薬草、
温浴、泥風呂、日光浴や運動、音楽や読書、断食など治療法として用い
られた。ここは古代の医療センターだった。温泉が出て居た。

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“トロイの遺跡”チャナカレの南30kmにある。ヒサールクの丘がホメロスの
イリアドやオデュセイでうたわれたトロイ戦争の舞台である。トロイの王プリ
アモスの息子パリスが、スパルタ王メネラオスの美しい妻ヘレナを誘惑して、
国へ連れ帰った事から始まったギリシアとトロイの戦争は10年間続いたが、
トロイの滅亡で幕を閉じる。

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その後約3世紀過ぎて紀元後9世紀、スミルナ(現在のイズミール)の詩人ホメロ
スが、この事実をもとに、神々や王、英雄たちの壮大な叙事詩をうたいあげた。

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しかしトロイ戦争の真の原因は、ダーダネルス海峡の支配権をめぐる争いだった。
ギリシアは物質的に恵まれた黒海沿岸に植民市を造りたかったので、海峡を押さ
えているトロイとの戦争は避けられなかった。

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トロイ遺跡は9つの層が重なっていることが発掘によって確認された。
第1市(B.C.3,000~2,600) 第2市(B.C.2,600~2,300) 
第3・4・5市(B.C.2,300~1,900) 第6市(B.C.1,900~1,300)
第7市 A (B.C.1,300~1,200) 第7市 B (B.C.1,200~900)
第8市 (B.C.900~350) 第9市 (B.C.350~A.D.400)
ドイツの商人ハインリッヒ・シュリーマンは少年の頃からの夢であった古代
都市トロイの遺跡を発見した。ギリシア人の妻ソフィアと共に発掘した結果、
遂に古代の財宝を見つけ、ベルリンに送られたが、第2次大戦で行方不明
になったままである。

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その後ドイツやアメリカによって再発掘が行われ、現在もなお続けられている。
いけにえの祭壇。ローマ劇場。ローマ浴場か? 議事堂か?

18:30 チャナカレ“CANAKKALE”到着。アナファルタル ホテル
ANAFARTALAR HOTEL ダーダネルス海峡の海岸にある素朴なホテルに宿泊。

11/15 チャナカレ人口75万人の港町、チャナ・カレとは陶器の城という意味、
昔から窯業が盛。ダーダネルス海峡は古代にはヘレスポントスと呼ばれ、
最も狭い所は1,3kmとの事。

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08:00AM 出発 ブルサ“BURSA”へ向う。人口75,000人、ウルダァ山
(標高2,550m)の麓に広がり、緑の多い古都である。温泉(硫黄、鉄分)
は湯治客や観光客に喜ばれる。ビザンチン時代ユステニアン大帝の頃から
絹の生産地として知られる。現在はタオルなど綿製品と機械工業が主な産業。

12:00AM 公園の中にある YUSUF RESTAURANT で昼食。午後市内観光。

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“イェシルモスク”町の東側にある。1,421年メフメット1世が建てた美しい建物。
玄関口は大理石で壁龕にはイズニックのタイルを貼ってある。

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ウルモスクの側にあるバザールを歩く。

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BURSA KERVANSARAY TERMAL HOTEL 宿泊。このホテルにあるHAMAMI
にてケセ&マッサージをしてもらう。
TURKEYのHAMAMIを体験出来て気分爽やかになる。

11/16 08:00AM 出発。バスは北へ向う。マルマラ海“SEA OF MARMARA”
の南の町に09:48AM到着、フェリー乗場のある町トプチュラ10:48発フェリーに
乗船する。エスキヒサール(古い城の意)ESKIHISAR に着くとのこと。

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甲板で船長と事務長、東京の外岡夫人と撮影。マルマラ海の波は静かで
風もなく、行き交う船に手を振る人々の姿あり、

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デッキで松浦氏はお抹茶の道具を出され、お点前をされ虎屋の羊羹もそえて。

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マルマラ海上で対岸を眺めながらのお点前は、結構なお服加減でした。
11:16 エスキヒサールに到着、名残惜しいフェリーの30分でした。

バスはE‐5高速道路(4車線)を走ります。この旅全行程約2,700kmを
1人のドライバーが完走です。優しい子供好きのおじさんタイプの人です。

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12:30~13:40 GELIK RESTAURANT で昼食。手作りのパンも料理も美味しい店です。
14:00 イスタンブール“ISTANBUL”市内観光。

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アヤ・ソフィア“AYASOFYA”アヤ・ソフィアは、ロンドンのセントポール寺院、
ローマのセントピーター寺院、ミラノのデゥオモに次いで世界の教会で4番
目の大きさを誇る。東ローマ帝国時代にギリシア正教の総本山として建て
られたが、オスマントルコ時代にイスラム教のモスクに改修された。

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教会内のモザイクやフレスコ画は、イスラム教の禁止事項である偶像崇拝
に当る為、すべて漆喰で塗り固められてしまったが、現在は取り除かれ、
美しく甦っている。1,934年アタチュルクによってモスクから博物館に変えられた。
アヤ・ソフィア(ハギァ・ソフィア)とは「神の叡知」の意である。325年コンス
タンティンが最初の聖堂を建てたが404年に焼失、そして415年テオドシウス
2世が再建した聖堂も532年ニカの反乱で焼け落ちた。ユスティニアン大帝が
再建に取り掛かったのはその40日後である。アンテミオスとイシドロスと言う
2人の有名な建築家が起用された。

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5年後巨大なドームをもった聖堂が完成し、ユスティニアンはこれを神に捧
げた。この後地震で被害を受け何度か修復が行われた。ミナレット(塔)は
オスマントルコに征服されて、モスクになってからのものである。558年の
凄まじい地震の際に東のドームと中央ドームの一部が崩壊、再建はイシ
ドロスの甥が前のより高く新しいドームを建て、今日まで残った。南北の直
径33m東西は31m、大理石の床に刻まれた十字はドームの円形を示す。
床から56mの高さに「王冠」を抱くドーム。つまりアヤ・ソフィアの中に15階建
の建物を建てる事が可能である。現在も修復中であるが、この足場はすべて
木で組まれている事に驚いた。ロードス島で特別に焼かれた、従来より6倍
も軽くて強固なレンガを使って、巨大なドームは造られている。
皇帝の門の上にあるモザイクは9世紀、南の門の上にあるモザイクは10世紀、
2階の南回廊にある2つのモザイク画は12世紀のもの。回廊で最も素晴らしい
モザイクはディーシス(キリストを中に聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれている)。

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本堂の後陣の上には幼子を抱いた聖母マリアの美しいモザイク(9世紀)がある。

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美しいステンドグラスの下にアーチがあり、下部には大天使ガブリエルが見える。

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15世紀本堂の西の隅に二つの、清めの水甕が置かれている。これは
ペルガマ或いはマルマラ海の島からのものと言われ、大きい方は270
ガロン(約1200リットル)の容量と言う。

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南の門の上にはイエス・キリストを膝に抱いた聖母マリアが王座に座り、
その両側にコンスタンティンとユスティニアンの二人の皇帝を描いた美しい
モザイク(10世紀)が残っている。アヤ・ソフィアの象形モザイクは、すべて
843年以後、つまり偶像破壊主義の没落以降のものである。ユスティニア
ヌス皇帝時代の花模様、幾何学模様のモザイクは今日側廊や回廊にのみ
残っている。

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赤茶色の建物を取り囲むように屹立する4本の尖塔(ミナレット)はオスマン
トルコに征服されて、モスクになってから建てられたもので、アヤ・ソフィアは
正にイスタンブールの歴史の象徴と言えるだろう。ミナレットが異なった時代
の色々のスルタンによって建てられたことは、建築様式を見ても明らかである。

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スルタン・アフメット・ジャミィ“SULTAN AHMET CAMII”その内部が色鮮やか
なブルーのタイルで覆われていることから通称「ブルー・モスク」と呼ばれて
いる。イスタンブールで最も美しいモスクの一つである。スルタン・アフメット
1世が1,609年から1,616年にかけて建てた。スルタンは、お抱えの建築家に
金のミナレットを建てさせたくて「金」トルコ語で“altin”と命じたら、老建築家は
「六」“alti”と解し6本のミナレットを建てたと言うのは作り話であろう。

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イスラムの祭の行事はここで行われ、メッカへの巡礼の旅もここから出発
する。6本のミナレットを持つのはこのモスクだけ。外庭、中庭、ドームのつ
いた大本堂で構成されている。中庭は本堂と同じ面積で64m×72mある。
30のドームのついた回廊には26本の御影石の柱が使われている。
中央の泉は8角形、内部の設計は求心的である。

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主ドームの高さ43m直径23,5mあり、直径5mの巨大な円柱を4本使って、
これを支えている。回廊(女性の礼拝場)が三方に配置されている。
壁下部と回廊は17世紀のイズニック焼きタイルが21,000枚使われている。

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モスクの外庭にはスルタンの墓や、神学校がある。

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イスタンブール“ISTANBUL”グランド・バザールは旧市街の中心部にある
約20万㎡におよぶ広大な建物で、ドーム型の屋根と長い壁に囲まれ、迷
路のように入り組んだ大小の通路に5,000軒とも6,000軒とも言われる店が
密着し犇めいて居り、あらゆる国の人間でごった返している。トルコ絨毯や
貴金属、皮製品、オニックスや銅製品など多種多様の店が軒を連ねている
が、完全に旅行者相手の商売だ。喧騒と熱気が立ち込める、その雰囲気
は余りにもイスタンブール的なエキゾチシズムに満ちている。

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“HOTEL PERA PALAS”イスタンブールで最も歴史があるこのホテルは
1,982年に新市街の小高い丘の上に建てられた。このホテルは「オリエント
急行殺人事件」のアガサ・クリスティに愛され、オリエント急行に乗って来る
ヨーロッパの上流階級の人々や建国の父ケマル・アタチュルクに愛された。
ホテルの内部はヨーロッパ・スタイルで「アガサ・クリスティホール」と名付け
られた吹抜けのラウンジや、シースルーのエレベーター、廊下に敷かれた
1枚織りのトルコ絨毯など、その格調高い雰囲気はすべて100年の歴史によ
って育まれている。また101号のスイートルームはアタチュルクのメモリアム・
ルームとして現在は博物館になっている。

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11/17(日曜日)100年の歴史あるホテル。エレベーターの前に立つ可愛いボーイさん。
09:00AM 出発、観光に出かける。09:50 トプカプ宮殿の近くに到着。

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ブルーモスクの全景を見る事が出来た。朝の空気の中に美しい姿を見せていた。

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トプカプ宮殿“TOPKAPI SARAYI”送迎の門を入ると、堅固な城壁に囲まれ
た宮殿は、70万㎡の敷地に様々な建物が並んでいる。トプカプとは「大砲
の門」を意味する。1,453年にイスタンブールを手に入れたメフメット2世は
1,459年にトプカプ宮殿建設に着工した。ハレムは16世紀に加えられた。
オスマントルコ帝国の最盛期、ここにはスルタンを中心に約4,000人住んで
いたと言う。

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第2の中庭から第3の中庭に入る「幸福の門」の前に謁見室、左側には
トルコの伝統的な刺繍展示室があり、

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東側の建物にはオスマントルコ帝国時代の衣装が展示されている。

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ハレムは400もの部屋があるが、現在一部だけ公開されている。

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女性たちの中庭、スルタンの母君の住い、スルタンの浴室、スルタンの
大広間、ムラト3世の寝室、アフメット1世の図書室、アフメット3世の果物
の間、そしてお気に入りの女性たちの広間などである。


ハレムの出口は46mのうす暗い通路であるが、ここは黄金の道と呼ばれていた。

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大広間には王座があり壁の装飾は美しい。

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ハレムを出るとテラスがある。第3の庭園に面し、貴重なスルタンの財宝を展示してある。

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スルタンの陶磁器と振子式柱時計マニアは世界でも有名で、トプカプには
10,512の陶磁器コレクションがあると言われ、世界一である。「世界の富を
集めたトプカプ」と呼ばれる財宝である。

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“トプカプ短剣”3つのエメラルドと時計付(これを盗み出す映画がつくられたほど)

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“スプーン屋のダイヤモンド”世界で7番目と言われる86カラットのダイヤモンド。
等のコレクション展示品を駆け足で観る事になった。

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早くも2時間が過ぎ送迎の門を出た。

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ドルマバフチェ宮殿“DOLMABAHCE SARAYI ”正門(王様の門)ボスポラス
海峡沿いの広大な敷地に建つ壮大なロココ式建築物が、共和制の初代大
統領アタチュルクの官邸。1,843年~1,856年建設。オスマン帝国は、建設
資金が足りず諸外国から膨大な借金をした。この宮殿の絢爛豪華な装飾美
術が有名。内部は観る者を圧倒する。1階正面を除き、宮殿内の全ての時計
は9時05分で止まっている。

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ルメリ・ヒサル“RUMELI HISARI ”「ヨーロッパ側の城」の意味を持つ城砦は、
ボスポラス海峡の最も狭い箇所に位置し、1,452年にメフメット2世が築いた。
1万人が働き4ヶ月で完成した。3つの大きな塔と13の小さな塔からなる。
この城砦によって黒海からビザンチン帝国への交通は断たれ、コンスタンチ
ノーブルが孤立させられた。

13:40 ~14:50 “PALET 2 TERAS RESTAURANT”にて海鮮料理昼食。

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15:00 乗船、ボスポラス海峡のクルーズに出発。第2ボスポラス大橋が見える。
アジアとヨーロッパを結ぶ吊橋、日本IHI施工、水面からの高さ64m長さ1,090m、
8車線、自動車通行用。大統領の官邸も見える。
“ボスポラス”の名は「雌牛の渡った海」の意味で神話に由来する。海峡の長さ
31,7m黒海とマルマラ海を結ぶ、最も広い所は4,7km、最も狭い所は660m、平
均深度70m一見おだやかに見えるが潮の流れは複雑である。

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海上から見える「ドルマバフチェ宮殿」は現在博物館として公開されている。
中央の大ホールを中心に左側が公的な場、右側がハレムとなっていて、43
のホールと大小285の部屋が並び、バルコニーと浴室も6カ所ずつある。
内部の装飾には14トンの金と40トンの銀が使われていたと言う。

イスタンブール ホテル・ペラパレス泊

11/18(月曜日)イスタンブール発10:55 TK-592(トルコ航空)にて機中泊
11/19(火曜日)成田到着 07:55 13日間の旅は無事終りました。

ヨーロッパとアジアの接点、文明の十字路として世界史の重要な役割を
演じてきたトルコ。今に残る史跡の数々、アナトリア高原に林立する奇岩
のカッパドキアや、一面の真白い世界、パムカレの石灰棚など自然の造
形も多く、親しみやすいトルコの人々とのふれあい。

こんにちは!“メルハバ!” 笑顔がやさしい。  ありがとう!“メルシー!”



『 シルク ・ ドゥ ・ ソレイユ 』

             『 シルク ・ ドゥ ・ ソレイユ 』
                                 2014/10/23

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 それは「カナダ・ケベック州のサーカス」が始まりで1,984年に設立しました。
動物を使わないサーカス・アートとストリート・パフォーマンスの魅惑的かつドラ
マチックな融合であり、ワイルドで斬新なコスチューム、魔法のような照明、オ
リジナルの音楽を取り入れたショーでした。そのコンセプトは絶賛され、ケベッ
ク州政府は、翌1,985年の国際青年年にふさわしいことを認めました。

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以来CIRQUE DU SOLEILはノンストップで活動しています。カナダ国内のツ
アーを終え、1,987年ロサンゼルス公演の成果を受けて合衆国への扉は大
きく開かれたのです。新しい市場を求めてヨーロッパとアジアに目を向けま
した。1,990年初のヨーロッパ進出を果し日本に初めて登場したのは1,992
年でした。さらに2,002年には「アレグリア」でメキシコに初めてビッグトップ
が姿を現します。2,008年には日本の東京と中国のマカオで初の常設公演
を実現しました。可能性にあふれた若い才能に、憧れと夢を抱かせて約30
年。芸術性が高く果敢な作品で世界中の観客を魅了しています。アーティ
スト、クリエイター、技術スタッフは世界各国から参加しています。

IMG_2132_convert_20141023165302.jpg
ショーを行うメインのビッグトップには、エントランス・テント、アーティスティック・
テントが併設され、その周りに様々な用途のコンテナが並んでいます。設営に
は8日、撤収に3日かかります。全ての設備、器具を合わせると1,500トンにも
および、85基のコンテナを使用しています。アーティスティック・テントにはトレ
ーニング・スペース、リビング、小道具及び修理工房、コスチューム管理、ラン
ドリー、キッチンには専属のシェフが毎日300~400人分の食事を作っています。

IMG_2117_convert_20141023165012.jpg
2,009年10月5日大阪公演を観ました 「コルテオ」イタリア語で葬列、行列を
意味するタイトル“CORTEO”中世ヨーロッパを思わせるステージの数々のア
クロバット、日本人キャラクターの出演もあり、バンド・ピットが客席エリアに設
けられているのも面白い演出でした。

2,011年9月5日に観た大阪公演 「クーザ“KOOZA”」サンスクリット語で「宝箱」
を意味するタイトル。奇抜な色彩のキャラクター、トリックスターが、無邪気なイノ
セントを導き成長を見守るストーリーです。両端に2つの車輪が付いた700kgを超
える装置を使った「ホイール・オブ・デス」はクーザのハイライトでした。

IMG_2128_convert_20141023165207.jpg
2,014年10月22日「オーヴォ“OVO”」ポルトガル語で「卵」を意味するタイトル。
初となる女性演出家が手掛けたショー、魅力的な昆虫たちの世界。音楽監督
はブラジル出身で、鮮やかな色彩感覚やサンバのカーニバルのリズムなどが
組み込まれています。作品のクライマックスに登場する巨大なセット「ウオール」
8m×19mです。今回も大阪公演を観る事が出来ました。私にとって3回目の大
阪公演です。観客と一体となった、ハッピーな時間に感謝でした。

『 パ テ ィ オ ロ ー ズ 6 』


          『  パ テ ィ オ ロ ― ズ 6 』
                                2014/10/07

IMG_2115_convert_20141007092719.jpg
9月に届いたピンクのバラは、蕾が次々に開き、甘い香りが流れてきました。

春に届いた3鉢のバラも、秋の気配を感じたのか、蕾をつけて花開き始めました。
バルコニーでバラの競演が行われ、華やいだ感じになりました。

IMG_2111_convert_20141007092638.jpg
ミニバラ・パティオローズなので、小さな鉢の中で精一杯生きて花開きます。

10月から11月にかけて公園やバラ園の花が見ごろになり、開園される事でしょう。
品種の多いバラの花は、人々の目を楽しませてくれます。好い季節になりました。

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