『 イ ポ メ ア (宿 根 ア サ ガ オ) 』

        『 イポメア(宿根アサガオ) 』
                           2014/07/20

昨年6/29に福島県・東白川郡縞町のふじ花園・藤田政則さんから届いた
花鉢は冬を越して今年も緑の葉が出てきてほっとしました。
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夏が訪れると可愛い蕾をつけ毎朝青紫色の花を開きます。

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時間が経つにつれ、ピンク・桃紫色系に花色が変化して夕方まで咲き続けるのです。

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昨年届いた時のような盛大な茎、葉は小さくなったけれど、生きていてくれた
ことに感謝です。

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毎日、次々に沢山の花を咲かせてくれます。震災支援のための頒布会で購入
した「東北3県の季節の花鉢」は6鉢ありましたが、枯らしてしまったのもあり
後悔しています。震災から3年以上経過したのに福島原発事故の問題は未だ
に解決して居りません。
稲作農家の皆さん、花卉園芸家の皆さんも復興が進まず大変です。
一日も早い復興を祈ってやみません。


『 敦煌・河西回廊と古都・西安 』

         『 敦煌・河西回廊と古都・西安 』
                                    2014/07/06

長安から河西回廊をシルクロードへと辿る、遠い道程を旅することが望みだったが、
無理だと知った。 1995年8月12日出発10日間のコースがあり参加することにした。

8/12(土)関西空港発 13:30 MU―516 (中国東方航空)上海着 14:35 乗換
上海 18:05 発 WH―292 (中国西北航空)西安着20:05 西安賓館泊

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8/13(日)西安市内より西北部郊外へ120km扶風県に残る古刹・法門寺に向う。
17世紀初頭に造られた、中国で最初に仏舎利がもたらされたという伝承があり、
唐代には法門寺の仏舎利を長安に迎え、供養する習慣もあったという。
門前町は観光客で賑わっていた。

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高さ45m13層の密簷式の真身宝塔が1987年に豪雨の為に崩壊し、古塔の
地下宮殿から1,000点近くの金銀玉縷が発見され世界の人を驚かせた。
八角の煉瓦塔も再建、展覧室も整備されている。法門寺参観、博物館も見学
その後、門前町の餐庁で昼食。

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午後楊貴妃の墓(西安の西60km)を訪れる。唐の玄宗皇帝に寵愛をうけた
楊貴妃は、安史の乱で逃走を余儀なくされた玄宗皇帝は此処、馬嵬坡まで
逃れてきて、楊貴妃に死を賜ったという。

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玄宗は757年にひそかに貴妃をここ馬嵬坡に葬った。墓前に「楊貴妃之墓」の
碑がある。墓の直径5mほどである。歴代の詩人、唐の信宗や清の林則徐など
の咏んだ詩の石碑などが陵園内にある。

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西安城外の南近郊、ホテル西安賓館の裏手にある「小雁塔」は唐代創建の仏塔。
元来密簷式の高さ43.3m、13層の古塔で則天武后の発願になると言われている。
大蔦福寺にあり、現在は42m、11層である。宋代に上層部が崩れ旧の形が判ら
なくなったので現状のまま修復したためである。密簷式とは軒と軒との間隔の狭い
塔のこと。大蔦福寺は9世紀半ばに足かけ10年も唐土を巡礼した日本の天台宗の
高僧円仁が足を止めたところでもあった。

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8/14(月)大雁塔(楼閣式)西安に残る最大の唐代遺物。高さ64mの方形角錐体塔
は648年に 高宗が亡母の為に創建した慈恩寺内にある。当時寺には約300名の僧が
修行していましたが高僧・玄奘法師は652年にインドから仏典を持帰り、その保存の為
に塔の建立を進言した。大慈恩寺は、三蔵法師として日本にもなじみの深い唐の高僧・
玄奘法師が帰国後にサンスクリット語の仏典の漢訳に励んだところである。

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後半生を仏典の体系的な翻訳事業に捧げた玄奘は、仏典の保存の為に塔を建て、
それが大雁塔の起源となった。塔の南側入口の左右には能書で名高い褚遂良の
「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」が対になってはめ込まれている。現在
の7層64mの塔は火事などの為何度も修復されたが底辺が正方形をした角錐形の
ユニークな外観は当時の面影を伝え、西安のシンボル的存在となっている。
塔は最上部まで上れる。

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碑林博物館「陝西省博物館」古代からの貴重な石碑そのものを保存している。
約2,300件余りの蔵品のうち褚遂良の「三蔵聖教序碑」顔真卿の「顔氏家廟」
など1,000点が展示。歴史博物館ができる以前は、陝西省博物館の代名詞は
碑林であった。朱全忠が長安を破壊し去って、五代に長安城が皇城を中心に
再建されると、玄宗親筆の石台孝経や、文宗の時の開城石経、あるいは褚遂良、
欧陽詢、顔真卿、徐浩、柳公権といった唐代の能筆家の石碑が城外に放置される
結果となった。

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そこでこれら唐代の貴重な石碑を文廟(孔子廟)に集めて保護したのが碑林の
始まりである。おそらく北宗の末頃に文廟は現在地に移り、その後も長安周辺
の石碑、石刻が収集されて一大コレクションとなり、石刻の淵叢として碑林の
名称が生まれた。ここはかつての孔廟であり、境内には金代、元代の石碑も
建っていて、その頃から文廟と京兆府の府学が置かれていたことが判る。

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墓誌の蓋の形は平たい四角錐台が普通だが唐の李寿墓誌は全体が亀の形を
して背甲が蓋となった珍しいもの。

西安空港発 16:30 WH―2574  蘭州着 17:30 蘭州飛天大酒店泊、蘭州は
飛行機よりバスへ乗継の為、観光をする時間が無く残念、またの機会にと願う。

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8/15(火)7:00AM 蘭州を出発バスの旅、武威へ231km 更に張掖まで297km
の長い行程13時間の予定。10:45AM 鳥鞘嶺 3,794m 峠を越えると万年雪を
頂く祁連山脈が見える。農産物の豊富な土地が続く。毛毛山 4,000m が近くに
ある。黄河を渡ってより河西回廊となる。

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1:54PM 武威市・羅什寺塔が見えるが公安局の中にあり、未開放の為道路より
写真のみ撮る。五胡十六国時代の名僧・鳩摩羅什を記念して唐代に建立されたもの。

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2:25PM 雷台漢墓に着く。雷台とは清代の寺院だが、ここで有名なのは地下に
発見された漢代の墓で、この墓の中から武威の町のシンボルとなっている青銅
製の像「馬踏飛燕」(飛燕をしのぐ馬)が出土した。この像は現在蘭州の甘粛省
博物館に保管されている。

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墓室は小さな煉瓦を幾重にも組み合わされたドーム型で、天井は金色の大
きな花びらが描かれている。

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3:30PM 「文廟」武威市博物館着、明の時代(1,437年)建立。南北170m東西90m。
緑と朱を基調にした独特の色彩。ここの呼び物は「西夏碑」西夏は11世紀中頃から
約200年間、現在の寧夏回族自治区と、甘粛省全域を支配していた、タングート系
(チベット系)の遊牧民族国家。1,227年西夏はチンギス・ハン率いるモンゴル軍に
抵抗した為、破壊し尽され滅亡した。この西夏滅亡と共に歴史から消えて行った
ものは「幻の西夏文字」である。

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漢字を基礎にした複雑な文字は、常に中央の漢民族(当時は宋王朝)を意識し
続けたタングート西夏の象徴だ。この西夏文字の石碑がこの文廟にある。
砂漠の中に埋もれていった民族の、消えてしまった文字に触れることが出来るのも、
シルクロードならではである。武威の歴史を展示した資料館もある。

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4:00PM 大雲寺に着く。鐘鼓楼は煉瓦の土台の上に屋根が反りあがった
2階建ての建物が乗っている。楼の上まで登ることができる。

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大雲寺の境内の中に老人たちの憩いの場がある。楽器演奏とのど自慢、
老人の楽しみは麻雀も、人懐こく話しかけてくるが、北京語ではなかった。
少数民族のうち漢族が一番多いということだが……

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5:50PM バスの窓より為支山が見える。 6:30PM 明代・長城遺跡が見えてくる。

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このあたりで道路は長城を横切る。その道路を山羊の群がゆっくり横切る。

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このあたりは「スイカ」が沢山採れるとのこと「香瓜」という。
7:40PM 張掖賓館着・夕食・宿泊。蘭州より510km 13時間の行程だった。

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8/16(水)8:00AM 徒歩で近くにある宏仁寺(大仏寺)へ行く、楊柳の並木道は中国らしい景色。

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宏仁寺は原名を迦葉如来寺と言い、1,095年の創建。当初は信心深い西夏の太后がよく
此処に宿泊し、元の開祖フビライの母ベーチ太后も住んで、この地でフビライを生んだと言う。

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清代に宏仁寺と改称された。

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寺内に安置されたマルコポーロの「東方見聞録」にも出てくる釈迦牟尼の涅槃仏
は長さ34.5m 肩幅8m 中国にある涅槃仏でも最大級のものだと言う。
大仏の瞳はお腹の方から見ると閉じているように見え、真正面から見ると開いている。
福々しく柔らかい優しげな表情をたたえた大仏だ。

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殿内は回廊式になっており、迦葉、阿難陀など十大弟子の塑像が軽くお辞儀
をするように後ろに並んでいる。両サイドには十八羅漢がひかえており、合計
28体の塑像は思い思いの姿勢、表情で臥仏を仰ぎ見ている。

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万寿寺(木塔寺)張掖中学校内にある寺で、高さ32.8m 8角9層の塔がある。

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創建は隋の開皇2年(582年)だが清代末期に強風で倒壊し、現在のものは
1,926年に建てられたもの。寺は中学校の物置き代りに使われ荒廃がひどい。
尚塔に登ることは出来ない。寺の山門が中学校の入口となっている。

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7:10PM 酒泉郊外、魏晋壁画墓に着く。この地下に美しい壁画の残った墓の遺跡がある。
ゴビ灘の拡がる河西回廊が続いている。入口の鍵を開けて貰い地下へ下りて見学する。

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嘉峪関・天下の雄関と呼ばれ、万里の長城の一番西に当る。天下第一関と称される
山海関から嘉峪関までは6,000km 長城をめぐって、農耕民族と遊牧民族との間に
繰り広げられた攻防は、中国史に様々な光と影を落してきた。

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嘉峪関は、明の洪武5年(1,372年)名将・馮勝が当時、河西回廊にまで勢力を伸ばして
居た元のモンゴル軍を征討した時に築かれたと言われており、二重の城壁と三つの城
楼をもっている。外城は煉瓦で作られているので、内城に比べてそれほど傷んでない。
11m 以上ある内城は土壁で傷みもひどいが、かなり修復されている。外城の東側に門がある。
内城を近くから見上げるとその壁の高さに驚かされる。東の光化門と西の柔遠門には、内壁に
沿って急な坂道があり、内城壁の上に登れる。砂漠と山脈に挟まれ東から西へと細長く延び
ている河西回廊に、延々と今尚続く長城を見る事が出来る。南方には標高5,547mの祁連山を
主峰とする祁連山脈の山々が白雪をいただき連なっている。城壁の四隅には望楼があるが鍵
がかかっていて残念ながら上ることはできない。明代にはここに一個大隊、約200~300人の
兵士らが常駐していたと言う。

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入場時間18:00 を経過していた為外観のみ。夕暮れの遠景は望楼の形も、
さだかにはとらえ難く暫し佇む。万里の長城の一番西端の砦、嘉峪関。
河西回廊の西端、果てしないゴビ砂漠、はるかなる祁連山。
シルクロードの悠久の歴史へと誘い続ける嘉峪関を再び訪れる機会が
あるだろうか? 嘉峪関・長城賓館に宿泊する。

8/17 (木)6:30AM 出発 8:30AM 玉門鎮到着、朝食、30分バスは走る。

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10:10AM 橋湾城址(明代の幻の城)遠くに城壁が見える。ゴビ砂漠が広がる道を西へ。

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11:45AM 安西(瓜州)このあたりは瓜の収穫が多く味も良い。

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敦煌の東方117kmに位置する、河西回廊の主要オアシスの一つで、世界でも
風の強い場所で、時折砂を巻き込んだ嵐が襲う。強風がゴビ砂漠の表土を吹き
飛ばす。バスの中より蜃気楼が見えた。

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3:40PM 莫高窟到着、石窟の見学を 6:00PMまでする。
砂漠の中の小さなオアシス敦煌の町は紀元111年、漢の武帝が、武威・張掖・酒泉
と共に、ここに都を置いたことから始まった。当時は「沙州」と呼ばれシルクロードの
軍事的要衝の一つ。ここから西は漢民族からは「西域」と名付けられた。唐の時代に
なると莫高窟の建設が本格的になり、東西貿易の中継地点、文化の都として花開き、
寺院が建ち並び市が立ち栄えた。
莫高窟(千仏洞)=敦煌市街から西へバスで30分ほどの場所にある。不毛の砂漠と
切り立った崖の間に、有名な仏教美術の宝庫「砂漠の大画廊・莫高窟」がある。
切り立つ岸壁、南北1,600m にわたり、びっしりと石窟が掘られている。4世紀頃から
始まって約1,000年にわたって造られ続けた石窟は、確認されているだけでも492を数える。

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想像を超えた時の流れと人の力である。しかも一つ一つが比類なく美しい。荘厳な
仏の世界である。唐代に書かれた碑文によると366年楽僔(らくそん)という名の修行
僧が旅の途中で、この地で岸壁が黄金色に輝いているのを見たことに始まる。楽僔が
夢見た仏の世界は、その後1,000年以上経た今でも千仏洞としてその姿を見せている。

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昔は一つ一つに木造の楼閣がつき見事なものであったと言うが、
現在はコンクリートで補修された土蔵のようだ。

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壁画や塑像の保存はかなり良く1,000年もの間に様々な民族によって営まれた、
美しい仏の世界がほぼそのまま残っている。「内部写真撮影禁止・カメラ持込禁止」
492もある石窟のうち甲票で参観可能な30箇所の中11箇所を参観する。
撮影出来ない為ポストカードを購入、一部の写真が見つかる。

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「428窟=北周」

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「130窟=盛唐」

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「130窟=盛唐」

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「328窟=盛唐・西夏」

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「328窟=盛唐・西夏」

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「328窟=盛唐・西夏」

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「17窟=晩唐」

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夕刻「鳴沙山・月牙泉」に行く。鳴沙山は東西約40km 南北約20km の大きな
砂山だ。入口より月牙泉までサラサラの砂で、歩き難いので駱駝に乗る。

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中国の駱駝は2瘤なので、1頭に2人宛乗る。

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風に吹かれて落ちる砂の音が、恰も山が鳴いているように聞こえた事から
鳴沙山の名がついたと言う。

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眼下には三日月形をした月牙泉が、青く澄んだ水を湛えて横たわっている。
3,000年以上も水が涸れていないと言う神秘の泉である。日が暮れてきて、
乗ってきた駱駝を探して、何とか宿泊ホテル 絲路賓館に帰りつく。

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8/18 (金)8:00AM 出発・終日敦煌に滞在して観光をする。8:40 莫高窟に到着、

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昨日に引き続き莫高窟の中別料金で参観可能な石窟の中8箇所、計780元・
約3時間かけて参観。撮影禁止は残念でならない。
壁画、天井画の美しさを網膜に刻み付ける。

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初期(北凉・北魏・西魏・北周あたり)の窟は西域的、元祖インドの形式に忠実、
壁画中の仏や飛天は強い隈取りが特徴、題材は釈迦の伝記やその前世の物語が多い。
「285窟=西魏」

隋になると中国化が進み、初期の大きく威厳に満ちたものに比べ、まろやかに
温かい優しさがある。顔も北方系から中国人のそれへと移っていく。隋の仏像は
体のバランスが変で頭が大きく極端な上半身肥大が特徴。

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唐に至り芸術は完成される。流れるような衣、音楽を奏でながら優美に舞う飛天
の姿、盛唐の菩薩が繊細な体をしなやかに傾け、微笑むような妖艶。窟の様式も
変り、壁画の題材も多様化、素晴しい芸術であり貴重な資料でもある。
「57窟=初唐」

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「57窟=初唐」

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「220窟=初唐」
中・晩唐を過ぎると、あとは衰退へ向う。「仏作って魂入れず」的な造像が増え、
壁画の中に少しばかり良品が残るという程度になってしまう。

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12:00 ホテルに帰り昼食後、敦煌の町から西南へ76km 砂漠の真中「陽関」に着く。
漢の時代に造られた関所で、ここから西は「西域」ここに兵士が駐屯していた。

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西へ旅立つ人にとってはここが最後の国内。西から来た人にとっては漸く辿り
ついた中国の入口だった。

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現在の陽関は砦は既になく烽火台の跡だけが残っているが、シルクロードの
過酷さを知ることの出来る場所として訪ねる人が多い。

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「送元二使安西」 王維 「元二の安西に使いするを送る」

渭城朝雨浥軽塵   渭城の朝雨 軽塵を浥(うるお)す
客舎青青柳色新   客舎青青 柳色新たなり
勧君更尽一杯酒   君に勧む更に尽くせ 一杯の酒
西出陽関無故人   西のかた陽関を出ずれば 故人無からん

王維 の詩で、あまりにも有名な陽関である。 

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周りを取り巻く広大な砂漠。

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陽関を後にして「西千佛洞」に行く。

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オアシスがあり、古木が緑陰をつくっている。

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5:45 PM 白馬塔へ到着。高さ12m 黄白色をした塔。かつての沙州故城のほぼ
中心に建てられた白馬塔はクチャ出身の僧・鳩摩羅什が愛用していた白馬が
ここで死んだので供養の為建てられたと言われている。絲路賓館に帰り宿泊。
明日の敦煌より西安行きの航空便取れず、予定が立たないとの事。

8/19 (土)8:00AM 敦煌市博物館へ行く。見学後空港へ
10:55 AM 敦煌発WH-2232 (西北航空) 1:21PM 西安着 昼食後 博物館見学
5:30 PM 宿泊ホテル・西安賓館着 6:30PM ロビー集合、夕食へ

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8/20 (日)9:30AM ホテル出発、市の東方 30km 始皇帝陵の東側に兵馬俑博物館あり。

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10:30AM~12:00AM 「秦始皇帝・兵馬俑坑博物館」坑を覆う巨大な体育館風の建物、
横60m奥行200m、始皇帝は天下を統一すると壮麗な宮殿・阿房宮を建て、万里の
長城を築き、ついで自分の陵墓を建設した。その陵墓を守る為につくられたのが、この
兵馬俑坑である。

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地中に埋もれていたが1,974年春1人の農民が井戸を掘る為、土を掘り起したこと
から発見された。まだ発掘が続けられているが、一部だけ見られる。

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巨大ドームは一号坑と言われ、6,000余もあり、東側の210位が武士俑、

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横に3列弓等を持ち、その後に6,000の甲冑部隊が矛を持ち、

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戦車と一緒に38の縦隊、南・北西には武士俑が翼衛隊として並んでいたそうだ。

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兵士俑の身長は1.8mあり1人1人の服装表情が皆ちがう。

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首のとれたもの、どこか欠けたものもある。このスケールの大きさはさすがである。

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ここも「写真撮影禁止」

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兵馬俑博物館の特別室には実物の1/4大の4頭立の青銅製の馬車が陳列
されている。(修復されたもの) 

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この精巧な銅馬車は四角錐台の始皇帝陵の西側の縁のほぼ中央から出土
した逸品である。(修復前の状態)

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バスを下りた場所から博物館まで長い道路は、秦俑市場・商店が立ち並んでいる。

午後、西安咸陽空港へ向う。旅も終りに近づいた。

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列車に出会う、蘭州に続く鉄道か?

西安発 16:05 上海航空 SF-202 上海着 17:55 レストランで夕食後 虹橋賓館 泊

8/21 (月)上海発 09:40AM 中国東方航空 MU-515 関西空港着 12:45
10日間の旅が終りました。航空機など時刻変更が多い国でしたが、何とか予定通り
旅を終えることが出来ました。史跡などは殆ど「撮影禁止」残念でなりませんでした。

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