『 聖 地 エ ル サ レ ム の 旅 』

『 聖地エルサレムの旅 』
2014/02/26
 1992.04.26出発10日間の旅は「名古屋空港よりチャーター機にて、イスラエルの玄関口
テルアビブへ(モスクワ迄10時間、給油1時間、テルアビブ迄4時間)15時間の旅です。

 イスラエルと国境を有する国はレバノン、シリア、ヨルダン、エジプトです。
面積は2万1千k㎡、 首都はエルサレム(山岳部にある) 日本との時差―6時間
人口480万人(384万人がユダヤ人、残りがイスラム教徒、キリスト教徒、ドルーズ族、その他) 
言語ヘブライ語とアラビア語が公用語、英語もよく通じる。

4/27 テルアビブ(ベングリオン空港)より専用バスにて、隣町古代の港町の情緒が残る
ヤッフォ“JAFFA”に着く。

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イエスの弟子ペテロが宿泊した「皮なめしシモンの家」が残っている。

ペテロはこの家からキリストの導きでカイザリアの異邦人コルネリウスの処へ行く。
これが異邦人伝道の始まりとなった。

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オリエンタルムード溢れる石畳の町には聖ペテロ修道院などがあり地中海の景色が眺められる。

観光後エルサレム市内より南へ約10km海抜770mの町ベツレヘムに到着する。
ベツレヘム“BETHLEHEM”アラブ人クリスチャンの町(人口約2万5千人)の観光をする。 
ベツレヘムとはヘブライ語で“パンの家”という意味だがセム人の神の名“ラハム”からきている
とも考えられる。ここは聖書によるとダビデの故郷であり、少年時代に彼はここで羊飼いをしていた。

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イエス生誕教会“Church of the Nativity”6世紀建造の教会でローマ・カトリック教会、
ギリシア教会、アルメニア教会の管理下にあり、教会内部にそれぞれの聖域が別れている。

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教会正面のギリシア正教祭壇の地下には、イエスが生まれたと伝えられる飼葉桶の跡と
東方の博士を先導した星に因んだ銀の星がはめ込まれている。

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カトリック聖堂の地下には、聖ヒエロニムスが一生を捧げて、聖書をラテン語に翻訳した洞窟がある。

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 中庭には聖ヒエロニムス(350~420年)の石像がある。

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この教会の北側には、フランシスコ会の聖カテリーナ教会が隣接している。

 観光後バスでエルサレムへ向かい、宿泊する「ラマダ・ルネッサンスホテル」に着く。

4/28 午前、エルサレム市内観光。(オリーブ山、ゲッセマネの園、嘆きの壁、エル・アクサ寺院、
黄金のドーム、ビア・ドロロサ、聖墳墓教会など)

*オリーブ山“MOUNT OF OLIVES”エルサレムを東から囲む全長約3,5kmの丘陵の一角、
この山並には3個の峰があり、北から「展望山」海抜829m「オリーブ山」海抜815m
「滅亡の山」海抜747m。オリーブ山は、ユダ山地とユダの荒野の境界に位置し、ここから死海、
モアブの山々を展望できる。第二神殿時代には新月を知らせる篝火が灯された。

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神殿崩壊後、ユダヤ人の聖地巡礼時最終目的地。ユダヤ人の無数の墓が並んでいる。

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キリスト教徒にとって神聖な場所の一つでもある。

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*ゲッセマネの園の教会“GARDEN OF GETHSEMANE”ヘブライ語で“油しぼり”の意。
オリーブ山の麓にある。昔はこの周辺でオリーブ油精製が盛んに行われたことを示す。

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ここに「苦悶の教会」別名「万国民の教会」が建っている。

ここはイエスがエルサレムで過ごした時いつも祈りを捧げた教会。イエスは十字架の死を前に
弟子たちと共に最後の晩餐を終えると、賛美を歌いつつケデロンの谷を渡ってゲッセマネの園
に入った。そして苦悶しつつ血の汗をしたたらせて祈りを捧げた。樹齢2000年を超えるオリーブ
の樹がある。展望山にはヘブライ大学が建っている。

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*神殿の丘 “TEMPLE MOUNT”アラビア語でハラム・エ・シェーリーフ(高貴な聖域の意)

旧市街の南東に位置し海抜740m ここは2000年前神殿のあった場所で、イエス・キリストが度々
訪れた宮殿である。現在この神殿の丘には岩のドーム、エルアクサ寺院、イスラム博物館など
イスラム教の建物が建ち並ぶ。

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*岩のドーム“DOME OF THE ROCK”

神殿の丘の中心に黄金色に光るモスクは巨大な聖岩(エツサフラ)を保護する為に建てられたので
「岩のドーム」と呼ばれる。紀元638年にエルサレムを征服したカリフ・オマルを記念して
カリブ・アブド・エル・マレクが紀元691年にこのモスクを建てた。1964年それまで鉛板だった
ドームが、金メッキの美しいアルミ板に装飾され黄金色ドームになって、聖都エルサレムの象徴と
なっている。

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*ヴィア・ドロロサ“VIA DOLOROSA”ラテン語で“悲しみの道”の意。

全長約1kmイエスがピラトから死刑の宣告を受け、十字架に処刑され墓に納められるまで、ゴルゴダの丘
「聖墳墓教会」に至る道 で、14のステーションがある。イエス時代の道は地下約3mの所に埋もれ、
現在のコースは16世紀頃に定められた。
「エッケ・ホモ教会」地下貯水槽、石畳はイエスが裁判にかけられた“ガバタ”が、この敷石とされている。
世界中のクリスチャンがエルサレムで必ず訪れる場所の一つがこのコースである。

ステーションⅡ 「鞭打ちの教会」と「宣告の小聖堂」が隣接している。

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ステーションⅢ 「アルメニア・カトリックの小聖堂」イエスは十字架の重みに倒れる。

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ステーションⅣ 「苦悩の母マリアの教会」教会地下よりビザンチン時代のモザイク発見。
         ベロニカの家の跡(ベロニカ、イエスの顔をハンカチで拭う)

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ステーションⅤ 「クレネ人シモン、イエスに代わって十字架を負う。

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ステーションⅦ 「審きの門・フランシスコ会の小聖堂」イエス2度目に倒れる。

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この門の上にイエスの罪状書きが貼りつけられたと言われる。


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*聖墳墓教会“CHURCH OF THE HOLY SEPULCHRE”

現在の教会は、ビザンチン時代、十字軍時代、そして19世紀の各時代に造られた教会が寄り集まった
大建造物である。イエス・キリストの昇天後、約300年間エルサレムにはローマの異教の神々が祭られ
ていたが、紀元326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの聖地巡礼をきっかけに、キリスト教会の聖域
が定められ始め、紀元336年現在の場所に建てられた。その後ペルシア、エジプトなどの侵入により
破壊されるが1099年に十字軍がエルサレムを占領し、再び修復したのが現在の建物である。

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教会内部は、ローマ・カトリック、ギリシア正教、アルメニア、エチオピアのコプト
などの分派によって区画分離がなされている。

その為毎朝教会の門を開けるのは、キリスト教徒でない、イスラム教徒の少年だと言う。
教会は大きく2つの部分から成り立つ。中心バジリカでマルテュリオン(殉教聖堂)と呼ばれる
ところと、イエスの墓を覆うように建てられたアナスタシス(復活聖堂)よりなる。

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中心バジリカでマルテュリオン(殉教聖堂)

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アナスタシス(復活聖堂)

地下には聖ヘレナ聖堂があり、巡礼者たちにより無数の十字架が石壁に刻み込まれている。
イエスの墓は、伝承によると最初の人間アダムの墓と同じ場所だと言われ、ゴルゴダ(されこうべ)
の名の由来もここから来たとされる。


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*シオン門“ZION GATE”シオンの丘に通じる門、

アラブ人たちはこの門がダビデの墓に近いことから「預言者ダビデの門」とも呼んでいる。
1967年六日戦争によって旧市街がユダヤ人の手に戻ると、ここに再びユダヤ人が住み始めた。
シオン門のまわりには弾痕が無数に残り激戦の様子が伝わってくる。


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*「シオンの丘」城壁の外にある一角、

ここは第二神殿時代のエルサレムの上の町であった所で、祭司や貴族が多く住んでいた。
ダビデの墓をはじめ、最後の晩餐の部屋、また「眠れるマリアの教会」ホロコーストの地下室などがある。

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ダビデの墓がある建物の2階はイエス・キリストが12弟子たちと
最後の晩餐をした2階座敷がある。

現存する建物はビザンチン時代の教会の跡に十字軍が建てた「シオンの丘の聖母マリア教会」の
一部である。16世紀以後はイスラム教徒がこの建物をモスクに変えて使っていた。
1948年よりここはイスラエル政府が管理するようになり、宗教の区別なく誰でも自由に入れるようになった。

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*嘆きの壁“WAILING WALL”神殿の西側にあたるので別名「西の壁」とも呼ばれる。

この壁はヘロデ王が建てた外壁の一部で、現在のユダヤ人にとって最も聖なる場所となっている。
紀元70年の神殿崩壊後、ユダヤ人は長く苦しい流浪の運命にありながら、毎年この壁に来ては泣き
ながら自らの運命の回復に祈り続けた。彼らの祈りに応えて、神の霊が白い鳩の姿になって、共に
嘆いたと言われている。また朝ごとに壁が夜露にぬれて泣いているように見えるので「嘆きの壁」
と呼ばれるようになった。

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ユダヤ教の男性は黒い帽子黒いコートの独特な服装、聖書や祈祷書を
読みつつ身体をゆすりながら節を付けて祈る。

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右側が女性用、左側が男性用の祈り場になっている。

男性の場合は頭を覆うものがなければいけない。開閉時間はなく、夜間はライトが灯り24時間絶える
ことなく誰かが祈っている。茶色を帯びた壁の石灰岩はツルツルに光っている。多くの祈りの手が
この壁に触れたからである。石と石の隙間には願い事が書かれた紙片がぎっしりと詰め込まれて
1900年間の祈りの偉大さを感じさせる。

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*イスラエル博物館“ISRAEL MUSEUM”

1965年に国立博物館として発足、全部で5部門に分かれている。その中でユニークな外観の写本館
“The Shrine of the Book”死海写本の入っていた壺のふたを模って造られている。洞窟内に似た
幻想的な雰囲気が漂う館内には、死海写本や、バル・コホバの手紙などが展示されている。

*「イスラエル国会議事堂」は博物館の広い敷地の北の丘にある近代的な建物で、入口近くに建てられた

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1956年イギリス政府寄贈のメノラー(七枝の燭台)にはイスラエルの歴史に於ける
有名な出来事が彫刻されている。道路の向こうに国会議事堂が見える。

*エルサレム・ラマダ・ルネッサンス・ホテル“JERUSALEM RAMADA RENAISSNACE HOTEL”宿泊


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4/29 エルサレム市内観光。ヤッフオ通り“JAFFA ROAD”

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マハネ・イエフダと呼ばれる「市場」は庶民の生活の匂いが溢れている。

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野菜店にはその土地の特産品、アーティチョーク・ニンニク・ズッキーニ・ピーマン等。

果物店は地中海地方のフルーツが豊富でオレンジ、グレープフルーツはジュースにして飲ませてくれる店が多い。

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パン屋さんは丸くて薄い「ピタ」というのを沢山並べて売っていた。

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乾物店は、雑穀、豆類は種類が多く、布袋に詰めて並べた物が沢山あった。

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鮮魚店には、大きな魚が多く、鯖を丸のまま燻製にしたものは美味しい。


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*「園の墓」 旧市街の北ダマスコ門から北へ約300mの所に岩の丘がある。

1883年英国軍司令官ゴードンが「イエスの墓」だと指摘した場所。聖書では「イエスが十字架に
架けられた所には一つの園があり、そこにはまだ、誰も葬られた事のない新しい墓があった」との
言葉から「園の墓」と名付けられ、プロテスタント派により大切に守られている。

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「園の墓」

周辺は美しい木々に囲まれイエスの復活の記事に相応しい雰囲気が漂っている。
イスラエルの第二神殿時代には、墓は岩を真横に刳り抜いて造られ、その中に遺体を安置したとのこと。

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この墓の入口には溝があって、そこに大きな円盤状の石を転がして蓋が出来るようになっている。


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*訪問教会“CHURCH OF VISITATION”

洗礼者ヨハネの父ザカリヤの別荘があったところ。エン・カレムの南、糸杉の茂る中腹にある美しい教会。

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1955年十字軍時代の教会跡に新しく建てられ現在に至っている。「マリア賛歌」
が46ヶ国語に訳され、この教会の壁に刻まれている。日本語のもある。


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*エン・カレム“EIN KAREM”とは「ぶどう畑の泉」の意味。

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ここは洗礼者ヨハネの出身地とされ、ビザンチン時代以来、教会が建てられるようになる。
町の南に「マリアの泉」とよばれる所がある。

*エルサレム新市街・ベンユダ通り“BENYUHUDA ST.”現代ヘブライ語の父と呼ばれる
エリエゼル・ベンユダの名に由来している。石畳の遊歩道、広場などを散策。


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4/30 ベェル・シェバ“BEER・SHEBA”

町はずれにベドウィン(遊牧民族)とよばれているアラブ人が生活している。現在イスラエル国内の
ベドウィン人口は約6万人でネゲブ地方に住むのは約4万人。毎週木曜日の午前中にベェル・シェバの
町はずれにベドウィン市(シュック)が立つ。近郊から多くの人が集まり賑わう。家畜の駱駝や羊を売り、
日用雑貨等を買い求めるベドウィンの人々が独特の大声をあげ、喧騒を極める強烈なエネルギー。


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町中にアブラハムの井戸“ABRAHAM'S WELL”がある。
井戸の大きさは直径3.75m深さ13m現在水は涸れている。

ベドウィンの天幕を模ったレストランで昼食(ピタというパン・肉料理等)

5/1 ソドム着 NIRVANA DEAD SEA HOTEL 滞在、死海の南にあたる。

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死海はヘブライ語で「ヤム・ハメラフ(塩の海)」とよばれているが、
聖書には「アラバの海」とか地中海より東にあるので「東の海」とも記されている。

死海の長さは78km 巾18km 総面積1020 k㎡ そのうちの490 k㎡がイスラエル領内にある。
ここは「シリア・アフリカ地溝」と呼ばれる大陥没地帯の中にあり、世界で一番低い地点
(海面下398m)である。ヨルダン川より塩類と硫黄を含む水が流入するが、他に流れ出る事もなく、

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強烈な日照りの為水分は蒸発。その為塩分の含有量は35%と普通の海水より10倍程多い。

その為生物は生存できない。塩分の中には有益な化学物質が含有されているため抽出する
“死海工業社”がある。多くのミネラル分を含み、健康に良いので皮膚病、リウマチの治療に
ヨーロッパから多くの人が訪れる。

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プールサイドで日光浴をしたが、海面下400mのこの地では日焼けしてもシミにならない。


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*マッサダ“MASSADA”はアラム語で“要塞”という意味。

ソドムから死海に沿って北上、死海沿岸にそそり立つ高さ400mの山。孤島のように見え、四方が絶壁で
頂上が平らな、天然の要塞である。紀元前25年にヘロデ王が宮殿や見張塔を作った。歴史的に重要に
なったのは、紀元66~73年にかけてローマに対するユダヤ反乱軍の舞台として登場したからである。
女性子供を含めた約960人のユダヤ反乱軍が立てこもり、ローマ軍と最後まで戦い続けた。約1万人の
ローマ人の攻撃に、ユダヤ人は自決し唯一なる神にその生涯を捧げた。このマッサダには荒野に降る
少量の雨水を全て確保できるように、岩をくり抜いて造られた大規模な給水施設が12槽もあり、
総計約4万トンもの水を貯水出来る。

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北の壁には3段式の宮殿があり、他にローマ式浴場、パレスチナ最古の
シナゴーグの跡や、ミクヴェ(沐浴用水槽)なども発見されている。


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*クムラン“QUMRAN”の遺跡。死海西北端の沿岸から約1kmの所、

1947年夏ベドウィンの少年が巻物を発見、これが後に付近の洞窟から発見された数多くの巻物と共に、
世界の聖書学会に多大の反響を呼ぶこととなった「死海写本」の最初のものであった。
これは20世紀最大の考古学的発見と言われている。周辺の洞窟から約600を超える巻物が発見された。
紀元前3~2世紀に筆写された旧約正典等である。


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*エリコ“JERICHO”クムランより北上、最古の町エリコ

ユダの荒野にあるオアシスで地中海の海面より250m低い。エリコの語源は、この町には果物が多く
良い香りがするので「芳香(レアフ)」からとも、別の説では古来より月神礼拝が行われていて
「月(ヤレアフ)」からとも言われる。亜熱帯的気候と泉のおかげで太古から人類が定住し、
世界最古の城壁で囲まれた町の跡を見ることが出来る。
トゥルル・アブ・アライク“TULUL ABU ALAIQ”はアラビア語で、この遺跡はハスモン王朝と
ヘロデ王朝時代の冬の宮殿跡が発掘された。エリコには果樹園が多く、グレープフルーツ、
オレンジ、バナナ、パパイヤ、ナツメヤシ等を栽培しているとのこと。

5/2 *ティベリア“TIBERIA”ガリラヤ湖に沿って北上

「祝福の山」MOUNT OF BEATITUDES 湖面より125m湖の北西にある。

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1938年に建てられた美しい八角堂のフランシスコ教会がある。

クリスチャンの伝承では、イエス・キリストが「山上の垂訓」を語り、弟子たちを祝福したところと
されている。教会内には八つの祝福の言葉が、それぞれの面にラテン語で記されている。
またこの丘でイエスは12弟子を選んだとも言われる。

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祝福の山からはガリラヤ湖の素晴らしい景色を見渡すことができる。
湖畔の斜面には美しい花々が咲き乱れる。


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パンと魚の増加教会“CHURCH OF THE MULTIPUCATION LOAVES AND FSHES”

5世紀頃に建てられたビザンチン様式の教会。イエス・キリストが5つのパンと2匹の魚を祝福して
5,000人を満腹させた奇跡を記念したもの。

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この教会にあるモザイク床はイスラエルに残る同種のモザイク中でも優れたものの一つ。

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ここには当時ガリラヤ湖畔に生息していたと思はれる動植物が、生き生きと描かれており興味深い。

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祭壇の近くにある「5つのパンと2匹の魚」のモザイクはイエスの奇跡を象徴していて
有名なものである。美しいモザイクの床の素晴らしさに魅せられた人々が佇む。


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ペテロ召命教会“ST. PETER’S CHURCH”

4~5世紀に建てられた教会の跡に1943年にフランシスコ修道会によって新しく建てられた。
イエス・キリストが漁師であったペテロとアンデレに「私について来なさい」と声をかけられたのは
この場所だとされている。教会の奥にある岩はラテン語で「メンザ・クリスティ」(キリストの食卓)
と呼ばれている。ここで復活したイエスが姿を現してガリラヤ湖に帰って漁をしていた弟子たちにパンを
咲いたという。またイエスがペテロに3度「私の羊を飼え」と命じたのも、この場所だと伝えられている。

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教会の庭は緑が多く、花々は美しい。


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*カペナウム“CAPHARNAUM”ヘブライ語の「クファル・ナフム」
からきており「慰めの村」という意味である。

おそらくバビロニア以後に建てられたユダヤ人の町であろう。

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イエス・キリストはこの町に住み、ガリラヤ地方の伝道活動の中心地としていた。
またイエスの12弟子の一人ペテロの家もあり、イエスはペテロの姑の熱病を癒した。

CAPHARNAUM THE TOWN OF JESUS の庭樹には紅色の花が咲き乱れていた。


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ユダヤ教会堂(シナゴーグ)の跡。紀元3世紀頃のものと思われる。

その土台はイエス時代のもので黒玄武岩で出来ている。この建物自体は石灰岩造り2階建で、
1階は男性、2階は女性が祈っていた。シナゴーグに隣接する建物は律法の学習や外来者の宿舎に利用
していた。この会堂跡の向かいに「ペテロの家」と呼ばれる遺跡が発見された。これは1世紀頃の漁夫
たちの住居の上に建てられたビザンチン時代の教会跡である。


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*ゲノサレ平原“VALLEY OF GINOSSAR”

ガリラヤ湖畔を南西に下り到着。マグダラからタブハまで長さ約5km幅3kmの小さな平原。
ここの土地の肥沃な事は有名。紀元1世紀の歴史家ヨセフスもユダヤ戦記に記している。
ここで収穫される作物が大臣の宮廷まで運ばれ食されたことで「大臣の庭」“ネガイ・サル”の意
とユダヤ賢者は解している。ゲノサレ平原には1937年に設立された「キブツ・ゲノサレ」がある。
このキブツの人口は約700名。豊な土壌と温和な気候を利用してバナナの栽培も行っている。
また湖畔のホテルもキブツの観光資源となり、いつも世界中の旅行者で賑わう。

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小さな遊覧船でガリラヤ湖を45分間廻る。ティベリアの船着場へ上り、湖畔のレストランで昼食。

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ピーターフィッシュ(ペテロの魚)を油で揚げた料理を食べる。

湖には約20種類の魚類が生息するが、ペテロの魚の事をヘブライ語で「アムヌン(母なる魚)」と言い
現在でも広く国民に食用されている。ガリラヤ湖畔は花がいっぱい咲いている。

カナ“CANA”ティベリアから西南21kmにある村。

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「婚礼教会」ここはイエス・キリストが婚礼に招かれ、水を葡萄酒に変えて祝福し、
その伝道生涯で最初の奇跡を行った場所として有名。

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婚礼教会の内部は美しい。

現在カナの村の北端にはフランシスコ会とギリシア正教による2つの教会が建てられている。
フランシスコ会の教会は1881年に、オーストリアのザルツブルグにある大聖堂をモデルにして造られた。
教会の床下からは3~4世紀頃のアラム語の碑文が発見され、当時ここにはシナゴーグ(ユダヤ教会堂)
があったと想像される。教会の地下にはイエスが葡萄酒の奇跡を行ったと伝えられる壺が置いてある。


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ナザレ“NAZARETH”市、人口約4万5千人(アラブ人が主で、ユダヤ、イスラム人)


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海抜約350mガリラヤの丘陵に位置し、ここから旧約聖書ゆかりの地を展望出来る。

古くから農業が盛んだったようだ。発掘により、受胎告知教会と聖ヨセフ教会の間の地下から、
幾つかの洞穴、ブドウとオリーブの臼、水槽、穀物貯蔵用のサイロ等が発見された。

マリアはこの町で天使ガブリエルからイエスを身ごもる事を告げられた。
またイエスはここで伝道に立つまで30年間過ごした。4世紀になるとヨーロッパのクリスチャンが
故事を慕って巡礼に来るようになり、幾つかの教会が建てられた。
その後7世紀に回教徒支配下に入り、11世紀に十字軍の占領、また回教徒の手に戻り、17世紀
オスマントルコの支配下にあった時にフランシスコ会の修道士が住み多くの教会が建てられた。
1948年イスラエル軍が奪還するまではイギリス軍の司令部があり委任統治。


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受胎告知教会“CHURCH OF THE ANNUNCIATION”1955~1969年、
14年間かけて建てられた、フランシスコ派の巨大な教会。

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アベ・マリアの頭文字“A”を象って造られた三角屋根の聖堂が印象的。
真中の聖堂にはマリアがお告げを受けた洞窟がある。

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2階の礼拝堂には世界の国々から贈られた聖母子の絵があり、
日本からは長谷川路可作の「花の聖母子」細川ガラシヤ夫人がモデルの絵が飾られている。

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聖ヨセフの教会“CHURCH OF ST. JOSEPH”1914年新築、

受胎告知教会と同様に、ビザンチンと十字軍時代の遺跡の上に建てられている。階下には遺跡、
サイロ、水槽そしてモザイク等が見られる。更にこの地下には洞穴の住居跡がある。クリスチャンの
伝承によれば大工ヨセフの仕事場、もしくは聖家族が住んでいた処とされている。
ナザレの町で「サフラン」を買う。ナザレをバスで出発、リナという村を過ぎ、カナへと向かい、
ガリラヤ湖畔ティベリアへと戻る。

5/3 * ティベリア“TIBERIAS CAESAR HOTEL”2泊したこのホテルの周辺はバラが甘い香りを
漂わせて咲いていた。8:00AMバスで出発、予定外の観光となる。


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ゴラン高原地方“GOLAN HEIGHTS”標高150~900m
ガリラヤ湖やイスラエル北部の町を眼下に見下ろせる。

1967年六日戦争から休戦地区になり、現在はイスラエルの管理下との事。ここはイスラエルにとって
主要水源地で、ここから湧く水がガリラヤ湖に流れ、全イスラエルを潤す。

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ヘルモン山“MOUNT HERMON”レバノン、シリア、イスラエルの3国にまたがる

アンチ・レバノン山脈の南部にある峰々を指す。最高峰は標高2814mヘルモンとはヘブライ語で
「聖なる捧げ物」の意。1年の2/3は雪に覆われ、雪解水が地中深く浸透して「ヘルモンの露が
シオンの山に下るようだ」と詠われているように地下水が湧き上がりヨルダン川の水源となっている。
イエス・キリストが光輝く姿に変わられたのは、この山であろう。


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バニアス(ピリポ・カイザリア)“BANYAS”アラビア語で呼ばれている。

ヘルモン山の麓付近一帯はヨルダン川の水源で年中地中から泉が湧き上がっている。国定公園がある。
紀元前20年ヘロデ王が、ローマ皇帝からこの地を与えられ、神殿を築いたが現在は何も残って居らず、

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岩の洞窟に刻まれた「パン神とニンフに捧げた神殿」という
ギリシャ語の碑文だけが当時を偲ばせる。

イエス・キリストが伝道生涯の後半、迫害を逃れ遠く旅したのがピリポ・カイザリアの山懐である。
現在碑文が刻まれている岸壁の上方には、ドゥルーズ教徒による預言者エリアの墓がある。イスラエル
にはドゥルーズと呼ばれる少数民族が、ゴラン高原やカルメル山に住んでいる。人口約4万人、
日常会話はアラビア語。

10:10 出発南西へ、キブツ(集団農場)のあるユーカリの並木道を通りキリヤット・シュモナー
“KIRYAT SHEMONA”の町「8人の町」を通る。人口約1万6千人。


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アッコー“AKKO”地中海に沿った人口約4万人の市

、紀元前20世紀に建てられ、エジプトの呪詛文書やエル・アマルナ文書にその名が記されている。
城壁で囲まれたところが旧市街で、道が狭く徒歩での見学となる。


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十字軍地下の町“SUBTERRANEAN CRUSADER CITY”

トルコ時代の要塞の地下に当たる十字軍時代の遺跡。ここは十字軍の聖ヨハネ騎士団と呼ばれた

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看護慈善団に属する建物で、騎士のホール、集会室、脱出用の通路などがある。


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ハーン・エル・アフランジ“KHAN EL AFRANJ”

ハーンとはアラビア語で「隊商宿」アフランジはフランクの事でヨーロッパ人。ヨーロッパから来た
商人たちが最初にアッコーに建てた隊商宿。十字軍時代はベネチア人の居住区だった。

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現在フランシスコ会の修道院がある。


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ハーン・エル・ウムダン“KHAN EL UMDAN”「柱廊の宿」

18世紀の終わりにアル・ジャザールによって、カイザリア等から運んできた石柱を使って建てられた。
ここにある高い塔は1906年にトルコのアブドゥル・ハミッドの25周年を記念して建てられた。

地中海、アッコー湾の青は美しい。
アッコーの町からバスで10分。ARGAMAN HOTEL RESTAURANTで昼食。


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ハイファ“HAIFA”14:45到着。人口23万人、イスラエルで3番目に大きな都市。

イスラエル国最大の港があり、重要な工業地帯でもある。カイザリアとアッコーの中間の地に
紀元1世紀にローマ軍駐屯地を建てた。その後十字軍に破壊され、19世紀に北アフリカや東ヨーロッパ
からのユダヤ帰還者たちが再び入植し、20世紀の初めにダマスコ―ハイファ間の鉄道が開通し英国の
援助で港が開かれ人口も急激に増加した。
特に第二次大戦中ハイファはヨーロッパから追われてきたユダヤ人の祖国への玄関の役割を果たした。
ハイファの町は大きく4つの地区に分かれる。
1) 港の近くは船舶会社等港湾関係の事業所が並ぶ。
2) 海岸に沿って臨海工業地帯がある。
3) 山の中腹は「ハダル・ハカルメル」と呼ばれる商業・ビジネスの中心地。
4) 山の上は「ハカルメル」と呼ばれる住宅街でホテルも建ち並びパノラマ通り眺め良し。

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ハイファにはイスラエル唯一の地下鉄がある。全長1800m 1959年フランス政府の協力で完成。
港側の下町とカルメル山頂を結んでいる。

15:30 ハイファを出発、南下し 15:40 カイザリアの北の海岸に到着。

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ローマ時代の導水橋“AQUEDUCTS”がある。

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2つの導水橋の中一つはカルメル山の麓の泉から約9kmの長さの高架式で、主にカイザリア市民の
飲料水用に使用されたものと思はれる。もう一つは低い位置にあり農業の灌漑用水に使用したのであろう。

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2つの導水橋は、共にヘロデ大王の時代に造られたものと見られている。

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カイザリア“CAESAREA”

導水橋よりバスで10分、古代カイザリアの遺跡に到着。ここは紀元前3世紀「ストラトンの塔」と
呼ばれるフェニキア人の小さな町であった。紀元前22年から12年間かけて、ヘロデ大王は壮大な
港町に改築。ローマ皇帝(カイザル)に敬意を表して「カイザリア」と呼ぶようになる。その後
約500年間ローマの総督府が置かれ、ローマとの直行便が出入りする国際港となった。
1265年十字軍の要塞が破壊されてから、カイザリアは衰退していった。

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十字軍の要塞“CRUSADER CITY”
これは3世紀に建てられたもので、東側には街路、教会、秘密通路などの跡も残っている。
この要塞が実際に使用されたのは1218~1265年の短期間であった。

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当時イスラム教徒と十字軍の戦いの場所の一つとして残っている。

十字軍の要塞から東へ100mの所には、ビザンチン時代の街路跡“STREET OF THE BYZANTINES”がある。
1954年の発掘で偶然発見され、5~6世紀の層であることが確認された。ここには二つの首のない坐像が
あり、赤色はハドリアヌス皇帝(2世紀)、白色はゼウス神と言われている。
ここに立つと、ローマ、ビザンチン時代のカイザリアの町の繁栄がよく判る。


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円形劇場“AMPHITHEATER”1960年代イタリアの調査隊によって発掘された。

ヘロデ大王が建てたものだが、何回も修築され現在は新築されたようになっている。

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劇場の直径約170m、高さ約30m、当時約4,000人収容出来たという。

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観客席の中央は長方形の仕切り座席で長官用の席だった。
現在も夏期にはコンサートが行われる。


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ナタニア“NATANYA”国道2号線(高速)を1時間半で到着。

人口約10万人の市。シャロン平原のほぼ中間にある保養地。慈善家ナタン・シュトラウスの名から
「ナタニア」と呼ばれている。1928年に農村として始ったが、現在は発展して工業が盛んである。
多くのダイアモンド研磨工場があり「ダイアモンドの町」としても有名。海岸には8つの海水浴場が
あり遊歩道なども整っている。
NATANYA GOLDAR HOTELイスラエルの旅最後の夜となる。

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5/4 シャロン平原“PLAIN OF SHARON”

テルアビブからズィカロン・ヤコブまで南北約60km 幅14~20kmに及ぶ平原が有名なシャロンの野である。
聖書には「わたしはシャロンのバラ、谷のユリです」「シャロンの麗しさが与えられる」と詠われている。
紀元7世紀アラブ人に征服された後は長い間荒れるにまかされていたが、19世紀後半から次々とユダヤ人が
入植、ぺタフ・ティクバ、ハデラ、ズィカロン・ヤコブなどの町ができた。

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今日ではオレンジとグレープフルーツ畑が一面に広がる沃野となっている。

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ズィカロン・ヤコブ“ZIKHRON YA’AKOV”人口5,000人のユダヤ人の町

1882年ルーマニアから来たシオニストたちが入植して出来た町、その後エドモンド・ロスチャイルドの
献金でブドウ園が出来る。ロスチャイルドの父の名ヤコブを記念してズィカロン・ヤコブ(ヤコブの記念)
と呼ばれるようになる。生産するワインはカルメル・ワインとして有名になるが、フランスから取り寄せた
品種が全滅、アメリカから新品種を取り入れ成功。

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ここにロスチャイルドの墓があり、周囲は美しい庭園になっている。

ナタニアを12:30 出発、国道2号線をテルアビブへ向かう。
テルアビブは、近代的なビルが建ち並ぶ、イスラエルのビジネスと文化の中心都市だ。
出来てから80年位しか経っていないが、イスラエルの人口の3分の1が集まっていて、活気に満ちている。
地中海に面したレジャー基地でもある。港の夜景は美しい。

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出発までの時間をイスラエルの人たちと新鮮なフルーツジュースを飲みながら過ごす。

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可愛い幼稚園児たちが賑やかに通り過ぎるのを眺める。

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美しい花のある道に佇み深呼吸をする。

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ショッピングを楽しむひとときも……

テルアビブ19:40 発チャーター機にてモスクワ経由帰国の途につく。
5/5 16:40 名古屋空港到着。またたく間に旅は終わった。

『 確 定 申 告 』

『 確 定 申 告 』

2014/02/11

 今年も所得税確定申告提出の時期が来た。昨年e-Tax を利用しようと準備をしていたが
ICカードリーダライタの購入が出来ず、手書きで申告書を作成した。
公的年金の収入が400万円以下なので確定申告をする必要はないのですが、昨年は手術・
入院などで医療費が嵩んだため、医療費控除の申告をしたいと思ったのです。

 申告の方法はe-Tax 以外でも、国税庁のホームページから、パソコンで作成できるとの
情報を得て早速取り掛かりました。書式の指示通りに必要個所に入力してゆくと、自動的
に計算を行い申告書が出来上がるようになって居るのでした。
医療費の明細書を作成する欄でエクセルの書式があり、丹念に入力を終わると合計額が
自動的に記載されたのですが、保存先が判らず、ここでストップになって終いました。
試行錯誤を繰り返しましたが遂におてあげとなり、諦めて別の方法で新たに入力をして
明細書を作成しました。その他の控除項目も入力して申告書の作成が終了しました。
作成したデータを印刷すると確定申告書と添付明細書等が出来上がって居りました。
医療費の領収書は別途添付しなければならず、源泉徴収票などと共に郵送しました。

日々に身体が弱り思わぬ病にも侵され、痛みに耐えながらの年金生活が続いて居ります。
源泉徴収税の中から、僅かながら還付される税額があるので、確定申告をしました。


『 ギアナ高地 と トリニダード・トバゴ の旅 』

『 ギアナ高地とトリニダード・トバゴの旅 』
2014/02/02

大阪に居を定めてからの海外旅行で、気の合った仲間6人が旅行社に申し入れ
実行した1993年4月28日出発12日間の旅でした。

4/28 17:05大阪発・ユナイテッド航空 UA 810 サンフランシスコ着 10:45( 約9時間)
乗換13:45発UA991マイアミ(フロリダ半島南部の都市)22:07着(時差-14時間)
日本より約18時間の長い旅でした。

マイアミは南北アメリカの格好の中継地、リゾート・ビーチです。南フロリダで
一番大きい水族館シークエリアムを見学しました。

体重4000kg以上 シャチのロリータのショー  
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イルカのフリッパーのショー
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4/29 18:40 マイアミ発 UA 869 ベネズエラの首都カラカスへの便を待つ。
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カラカス着 21:50 ヒルトンホテル泊。
4/30 10:20 カラカス発 VE 051 シウダ・ボリバール経由カナイマ着 12:05(時差-13時間)
オトゥルベンサロッジ(宿泊ホテル)に案内される。
カナイマ滞在3日間のホテルです。カナイマには宿泊施設はここだけとのこと。ロッジの前は
湖でオリノコ川につながっている。ハッチャの滝がロッジから見える。

ロッジは草ぶき屋根、レストランは明るくて見晴らしが良い。
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カラフルな鳥が来て人が与えるパン、フルーツなどを食べて居た。
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15:00 ジープでボート乗場に行き、船でオリノコ川の支流カラオ川を下り、ジャングル
ハイキングに出かける。カラオ川流域は果てしなく広がるジャングル帯。
川の水は黒味がかった茶色、高地の岸壁から流れ込む植物の腐植質から滲み出る
タンニン酸を含んでいるとのこと。
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15:30 ボートを下り、ジャングルの中を歩きジュリル滝を見る。
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ギアナ高地には幾万の滝があり、オリノコ川の水源となっているとのこと。
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滝の見える風景が何と多いことか。ジャングルの彼方にはテーブルマウンテンが見える。
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05/01 10:25 エアポートよりセスナで出発 10:50 カバック着、ここはインディオの部落
ここで水着に着替え滝のある川沿いにトレッキングに出発。
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水の中で石の上を滑りながらカバックの滝にたどり着く。
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カヌーに乗り15分位でタリラレンパの滝に到着。カメラはしぶきの中を歩く為持参せず残念。
再びカヌーと川歩きを続け戻る。カバックの滝で集合帰途に就く。

ギアナ高地はセスナまたはヘリコプターでしか、近付いて見ることが出来ない。
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アウヤンテプイは2500mの巨大なテーブルマウンテンだが
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ギアナ高地全体では「テプイ」と呼ばれるテーブルマウンテンが約100位散在している。
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アウヤンテプイ(悪魔の山)は700k㎡(ギアナ高地の中で最大規模のテーブルマウンテン)
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高い絶壁テーブル状の山に降った雨は絶壁に一気に噴出し、数百、数千の滝を作る。
その中には世界最長のエンゼルフォール(979m)がある。
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ここの地殻はロライマ楯状地と呼ばれ20億年前に形成された、世界最古の地層である。
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天候は雲が多く視界が悪いのが残念だった。
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05/02 8:30 ボート乗場集合、ラグーンツアーに出発
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ユーリーフォールの観光約20分、
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滝を眺めながら急流をボートで下る。
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滝の多いこの川を進みながら滝の壮観を満喫した。
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12:30 カナイマ発 VE 052 カラカス着 14:10
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市内観光、南米解放の父、シモン・ボリバール(1783~1830)の家、
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ボリバール博物館
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23:20 カラカス発 UA 871 トリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペイン着00:25
05/03 トリニダード・トバゴ・ヒルトンホテルで朝食と昼食をとる。
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午後市内観光へ。レッド・ハウスは国会議事堂と裁判所
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マラバル通りに面して荘厳な7軒 ”クイーンズ・ロイヤル・カレッジ ”
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何れも1904年から1910年にかけて建造。それぞれ個性と特徴が出ている。

大統領官邸は1870年代に建造アンティークな建物でガーデンが美しい。
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トリニダード・トバゴ共和国はカリブ海最南端にある二つの島、トリニダード島とトバゴ島
からなる。トリニダード島(4827 k㎡)トバゴ島(301 k㎡)合計5128 k㎡ 人口124万人、
人種はアフリカ系黒人41%、 インド系41%、 混血16%、 白人1%、 その他1%
言語は英語が公用語、古典的なフランス語も一部残っている。宗教はカトリック 34%、
英国国教会 15%、ヒンズー教 25%、イスラム教 6%。南米大陸とは海峡を隔て24 km

首都はポート・オブ・スペイン、人口は60万人(全人口の半分近く)1757年スペイン総督に
より建設、1797年イギリスのものに、1802年正式にイギリスの領土となり、1962年独立まで
イギリスの支配下に置かれる。8州30郡に分けられ、その中の1郡がトバゴ島。

かつてはサトウキビ農業の盛んな国、20世紀からは石油の産地として栄えている。
またスチール・バンド発祥の地、スチール・ドラムの奏でるカリプソに包まれている。

17:00 カロニー・バード・サンクチュアリーへ。ポート・オブ・スペインから南へ約15km
カロニー川がパリア湾に流れ込む一帯はマングローブの森、ここは鳥たちと魚たちの宝庫。
木造の粗末なボートに乗って、西日に向かって行くと広大な湖に出る。停船して日暮れを待つ。

やがて前の島の一つにトリニダード・トバゴの国鳥 スカーレット・アイビー(赤いトキ)
が赤く燃えるように群をなして戻ってくる。
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昼はベネズエラ方面に餌を求めて出かけ、夕方になるとこのマングローブの森に戻ってくる。
一つの森に集中して止まる為、そこだけ花が咲いたように深紅に染まる。
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近付くことは禁止されているので、遠くの舟から望遠鏡で眺める。
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時の経つごとに赤い花は増え続ける。
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ズームレンズを使って写真を撮ったのだが、鳥の形がはっきり見えないのが残念。
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国鳥 スカーレット・アイビー(赤いトキ)は嘴の長い赤い鳥
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ポート・オブ・スペイン国際空港の土産品店にスカーレット・アイビーの模型があった。
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20:40 スチール・バンド“ Amoco Renegades” ヨーロッパ演奏を前にリサイタルの最中を訪ねる。
楽器となるスチール・ドラムは石油のドラム缶が生んだトリニダード・トバゴ独特の楽器で、
裁断したドラム缶の長さ、叩く場所によって音が異なる。
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多いときには何十個も叩いてメロディを作り出す。
ドラム缶から生まれたメロディこそ、カリプソで親しまれる音楽の源流なのだ。
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カーニバルの時のバンドの編成は80人から100人にものぼり、皆がパン(スチール・ドラム)を携え
一人で何十個というパンを叩いて演奏するのは、世界でも類を見ない演奏風景だ。
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カーニバルはコンテストの日でもある。優勝すると賞金とカリプソニアンとしての名誉を得られる。
アモコ・レネゲーズは No.1になった事があるそうです。

05/04 ポート・オブ・スペイン発 06:45カラカス着、 国内線 に乗換17:10 メリダ着 パーク・ホテルへ。
メリダはベネズエラ西部にある標高1,640mアンデスの山々に囲まれた山間の小都市、人口は12万人余。

アンデス山脈は延長約9,000kmとのこと。最高峰アコンカグアは標高6,960mあると言う。
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市の東方にあるピコ・エスペッホより、ロープウエイの始発駅バリニタス 1,577m に到着
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中継点ラ・モンタナ駅着2,442m、 次の中継点ラ・アグアダ駅 3,452m 着
ロマ・レンダ駅 4,045m着、
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現在この上はロープウエイ修理中の為ここでストップとなる。
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呼吸が苦しく頭痛がする。
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ベネズエラ最高峰の“ピコ・ボリバール”標高 5,007m を間近に見るのが目的だったので残念でならない。
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アンデスは 4,000m 以上の高峰が 80 を超える山岳地帯で、インディオたちの交通手段は驢馬が唯一とのこと。
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ピコ・エスペッホは標高 4,765m 山頂には白亜のマリア像が立っているとの事だが、雲が流れて見えない。
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12:35 ロマ・レドンダ駅発ロープウエイで中継点で乗り継ぎながら下り13:10 バリニタス駅に到着する。
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マイクロバスでメリダ市内へ、レストランで昼食後マーケットに案内される。
1階は食料品、フルーツが豊富、コーヒーはローストして挽いて計量売りしているので土産に買う。
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2階は民芸品、皮製品、土産品等がある。ガイドさんと一緒に仲間の写真を撮る。
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05/06 メリダ発 09:05 VE 028 カラカス着 10:45 メリア・カリブ ホテル宿泊
05/07 カラカス発 08:55 マイアミ着 セスナに搭乗 キーウエスト“Key West”に着く。

美しい海にはペリカンが波に戯れ、海岸にレストランがある。
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大西洋・アメリカ本土の最南端の碑“ Southernmost Point U.S.A . ”が建っている。
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ヘミングウェイ・ハウスを訪ねる。
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アーネスト・ヘミングウェイは、キーウエストには8年間住んでいて、その間に
「武器よさらば」「キリマンジャロの雪」「誰がために鐘は鳴る」「持つと持たぬと」
など彼の著書の70% にものぼる小説を書いたという。
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また、度々キューバへ出かけて「老人と海」の主人公のように一人でカジキを相手に
釣りを楽しんでいた。彼が有名な船「ピラー号」を手に入れたのもこの頃だった。
1961 年ヘミングウェイが亡くなり、この家は売られたが、1964年に記念館としてオープンした。
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19:10 セスナでマイアミ空港に戻り05/08 マイアミ発 07:20 サンフランシスコ 10:30 着
サンフランシスコ12:44発 機中泊 05/09 大阪着15:58 (所要時間約10時間)

「ギアナ高地とトリニダード・トバゴの旅」12 日間は終了しました。
6人の旅仲間に振り回された「アルパインツアーサービス㈱」の添乗員に感謝でした。

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