『 本籍地 』

              『 本籍地 』
                            2017/01/04
 
高岡市2_convert_20170104151914
 私の本籍地「富山県高岡市御馬出町五十一番地」には高峰幸庵が明治
三十七年頃まで開業していたが、この旧邸跡八畝十七歩余は大正十二年
十月に高岡市に寄付され、その跡に小公園が設けられ1955年7月に湯川
秀樹の銘のある高峰譲吉の銅像が建てられています。(旧邸跡は守山町・
利屋町・御馬出町の三町に跨り、町名はまちまちに呼ばれている)と「越中
の近世医家」と言う本に記されています。
 
高岡市3_convert_20170104152010
 高峰譲吉は1854年生まれ、英国留学・米国移住1922年7月ニューヨークで
死去(67歳)ジアスターゼの発明、アドレナリンの単離で知られる薬学博士で、
当時米国人との国際結婚で、日米両国の外交、事業家としても活躍された人
として知られています。
 
 私の父は高岡中学校卒業後、南満洲鉄道㈱に就職、撫順炭鉱を皮切りに、
炭鉱経理畑で勤務1945年12月終戦により引揚まで故郷を訪れることはありま
せんでした。

高岡市_convert_20170104151735 
 高峰家の菩提寺、高岡市にある臨済宗・国泰寺に先祖代々の墓があり、両親
はここに眠っていますが、墓参に訪れる機会が遠くなって居ります。私は満洲で
生まれ引揚まで日本を知りませんでした。本籍地も父から話を聞いて居りました
が、私にとって故郷ではないので、戸籍謄本で確認するばかりですが、現在は市
に寄付された公園となっているのでしたが、私が満洲国撫順市に於いて出生した
記録が残されていました。下関市に住んでいた頃、父は老後墓参のため、故郷
高岡市を訪れる事を何より楽しみにして居りました。父にとって故郷は殊更に懐か
しいものであったと思います。引揚後の苦しみは多く、故郷満洲も遠く、日本も住み
難いものでしたが今日まで生きて在ることを思うと感無量です。日本各地に移り住
み、終の住処を大阪ゆうゆうの里に定めましたが、冬は雪深い日本海に面した北陸
の地、富山県高岡市は私の本籍地なのです。

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タカジアスターゼ

子どもの頃から胃が弱かった私は母にすすめられて「タカジアスターゼ」をいつも飲んでおりました。それが高峰譲吉博士の発見になる消化酵素ジアスターゼが由来であることを学習年鑑を読んで知っていて、「高峰譲吉」という名前に畏敬と親しみの気持ちをもっておりました。このブログを拝見し、靖子さんと繋がりのある方だと知り、とても驚いております。今も「タカジアスターゼ」はいつも手許にあります。小粒の錠剤は舌にのせると、微かな甘さが口にひろがり、子どものころの感傷的な時間が甦ります。

Re: タカジアスターゼ

> 子どもの頃から胃が弱かった私は母にすすめられて「タカジアスターゼ」をいつも飲んでおりました。それが高峰譲吉博士の発見になる消化酵素ジアスターゼが由来であることを学習年鑑を読んで知っていて、「高峰譲吉」という名前に畏敬と親しみの気持ちをもっておりました。このブログを拝見し、靖子さんと繋がりのある方だと知り、とても驚いております。今も「タカジアスターゼ」はいつも手許にあります。小粒の錠剤は舌にのせると、微かな甘さが口にひろがり、子どものころの感傷的な時間が甦ります。

純子さんへ
ブログ読んで頂き有難うございます。高峰譲吉は米国では数々の苦難を乗り越え、つい胃腸消化薬「タカジアスターゼ」の開発に成功し、米国の製薬会社から世界中に販売されたタカジアスターゼやアドレナリンは、日本では三共から販売され国内に広まりました。1913年三共の初代社長に就任、国民的化学研究所の設立を提唱、4年後に理化学研究所として実現。三共と米企業との合弁など活躍されたようです。私の父もタカジアスターゼを常用していましたので、錠剤の入った小瓶を思い出します。

No title

高峰譲吉さんは、高峰靖子さんにとっては叔父さんに当たるのでしょうか?
血脈が知りたくなりますね。
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